南三陸町と周辺地域への祈り

宮城県南三陸町(旧志津川町と歌津町)歌津の出身です。世界中の皆さんからのご支援に感謝です。本吉町・気仙沼市ゆかりの方、宮城県内・他県の皆さんも一緒に頑張りましょう!

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop


先日8月5日に発売された「ボランティアという病」(丸山千夏著・宝島社新書)に書かれた内容について、事実と異なる記述がありました。

一般社団法人 震災復興支援協会つながりについて書かれている章で、

「つながりの設立は~設立当時の活動目的は南三陸町歌津に建設を予定していた共同浴場「魚竜」の運営だった。この計画が頓挫した後、現在の勝又代表が引き継ぐ形で残ったのが、一般社団法人「震災復興支援協会つながり」である。」(P.36)

とありますが、共同浴場「魚竜(ぎょりゅう)」の設立を目指していた方の活動と、つながり及びつながり代表の勝又氏との活動は全く別のもので、双方の活動を手伝い合ったり、法人組織や事業を引き継ぐ等の事実はありませんでした。

「震災復興支援協会つながり」は南三陸町、常総市などでボランティア活動をしてきた団体で、2016年4月の熊本地震直後に熊本県御船町に入った際にネット上で批判が噴出し、週刊文春でも取り上げられました。
(※こちらについては次に公開するページで後述いたします。)

この書籍もつながりの活動について批判的な内容となっており、南三陸町の方々のつながりに対する感情や、「あの人はつながりと親しいのか」との誤解から、南三陸町内の人間関係が「ぎくしゃく」していく様子も書かれています。

一方「魚竜の湯」は南三陸歌津の避難所に設置された浴場からスタートしており、町内外の方々からたくさんの応援をいただいていました。
(※「魚竜」は旧歌津町でウタツギョリュウという魚竜化石が見つかっていることから、南三陸町歌津地区では非常に親しみのある名称です。)

魚竜の湯の設立を目指していたA氏や、協力者であった方々はこの件を知ってとても驚き、私以上に悩まれていました。
この本を読まれた方々は共同浴場「魚竜」の活動とつながりを同一視し、魚竜の湯の活動にネガティブな印象を持ってしまうでしょう。
なにより、魚竜の湯の応援・協力をしてきた町内外の方々が不利益を蒙ってしまうことを懸念したからです。

この記述が事実と異なることを出版社の方へお話ししまして、宝島社公式ページ著者の方のtwitterアカウントにて、他の記述とともに訂正アナウンスをしていただき、重版になった場合には修正のご対応をいただくことになりました。


-----------------------------------
宝島社公式サイト: 「宝島社新書『ボランティアという病』に関する訂正とお詫び」→★

訂正後 「同新書の36ページ10行目の「つながりの設立は」から13、14行目「一般社団法人「震災復興支援協会つながり」である。」までの文を以下のように変更します

勝又代表を中心として、海岸清掃などの活動をしていた任意団体「TSUNAGARI」が2012年10月に一般社団法人として法人化したのが「つながり」の発祥だ。その後、2014年には「一般社団法人震災復興支援協会つながり」という現在の名称になり、2015年11月には勝又代表を除く全理事が交代して、現在に至っている。」

-----------------------------------


takarazimasya_450.jpg


訂正のお知らせ_s


お忙しいところご対応いただきました宝島社の皆様、著者の丸山様にはお礼申し上げます。

そして出版社へ訂正のお願いをするにあたって、「魚竜の湯」の設立を目指していたA氏本人だけでなく、複数の方々から証言等のご協力をいただきました。
他にもたくさんの方々から法的見解や出版事情などを含めたさまざまなご助言をいただき、心から感謝しております。

また、すでに出版済みの書籍でありますため、拙ブログにて事実関係について説明することもご了承いただきました。
(この原稿は当事者であるA氏にもご確認いただき、宝島社のK編集長様にもお見せしています。)


著者の方によりますと、ある方の証言とつながりの法人登記簿に理事としてA氏の名前があることから上記の記述をなさったようですが★「#ボランティアという病 」(宝島新書) 事実関係に関するご指摘に関しまして #TSUNAGARI、A氏の活動とつながりの法人の設立過程(法人登記簿より確認)を時系列にしますと以下のようになります。

---------------------------------------
・2011年4月
歌津中学校避難所に東京の企業が立ち上げたボランティアチームV (A氏が参加)による浴場「魚竜の湯」ができる
避難所以外の町内の方々、ボランティアの方々も利用し、コミュニティの場としても機能していく

・2011年8月
避難所閉鎖に伴い魚竜の湯も解体
A氏が南三陸町に住民票を写し、共同浴場「魚竜の湯」の設立準備に入る

・2012年6月
A氏がコミュニティスペースとカラオケボックスをオープン
2012年秋までに上記に隣接する形で浴場施設も建設予定だった

・2012年7月~
浴場のオープンまでの収益源と考えていたカラオケボックスの営業、浴場の建設ともに難しいことが判明
他に魚竜の湯をオープンする手立てを模索するが、計画をあきらめる。
「魚竜の湯」事業の引き取り手が見つからなかったため、すでに建設した建物を地主の方にお譲りし、運用を町の方にお任せした

・2012年9月~10月
A氏が9/20より南三陸町と地元を行き来し、南三陸町から撤退するための手続き等を始める。
10月から地元で建築にかかった費用の返済のために働き始める

・2012年10月23日
一般社団法人「震災復興支援協会つながり魚竜」設立
勝又氏が代表兼理事、理事にA氏や、南三陸町の住民の名前がある。

・2012年11月2.3日
魚竜の湯支援者の方が南三陸を訪れる
A氏も都合を合わせて南三陸へ戻り、挨拶をしている
(魚竜の湯建設計画が頓挫したことは事前にお伝え済み)

・2013年夏
A氏が南三陸町を訪問。草刈作業などを手伝っている。

・2014年12月26日
一般社団法人「震災復興支援協会つながり魚竜」から一般社団法人「震災復興支援協会つながり」に名称変更
代表・理事に勝又氏が重任、A氏の他、南三陸町の住民を含めた設立当初の理事が退任
(2015年11月9日登記)

※法人登記簿(履歴事項全部証明書)は管轄局以外ですとコンピューター化以前の履歴が含まれたものが取得できませんが、参照したつながりの法人登記簿(履歴事項全部証明書)はコンピューター化以前の変更履歴がないことを確認済みです。

---------------------------------------

私が把握している法人設立以前のつながりの災害支援活動は、南三陸町歌津泊浜の避難所を中心した物資支援と、その後の海岸の清掃などで、代表の勝又氏のブログを見ると2011年3月には街頭募金等の活動をスタートしています。
南三陸町でのつながりの主たる活動は、清掃などを含めた長須賀海水浴場の再開に関するものかと思います。

上記の経過と、「一般社団法人 つながり」の法人登記簿(履歴事項全部証明書)から分かることは

・法人の「代表」は当初より勝又氏で、A氏ではない。
・「主たる場所」は魚竜の湯建設予定場所でもA氏の南三陸町内の住まいでもなく、魚竜の湯に関係のない場所である。
(この点は南三陸歌津の方やA氏を知るボランティアの方々であればすぐに気づくことです。)
・「目的」に魚竜の湯に関する具体的な内容が明記されていない
(「コミュニティを創造」など、近いものはある)
・A氏は魚竜の湯の設立、勝又氏は海岸清掃などの活動を別々に行っていた(活動していた地区も異なります。)
・法人の設立は2012年の10月23日だが、A氏は同年9月20日から地元での仕事再開の準備を始め、南三陸町から撤退。10月から地元で働いている。
理事の中でA氏だけが町内にいない状態だった。
・A氏が設立時に理事として名を連ねていることは確かだが、2014年12月26日に退任(南三陸町内の他の理事の方も同時に退任)。


という点です。

書籍に書かれた通りであれば

A氏が一般社団法人「震災復興支援協会つながり魚竜」設立
(法人登記簿の「主たる場所」と「目的」は魚竜の湯に関するもの。「代表」も勝又氏ではなくA氏)

魚竜の湯の計画が頓挫

勝又氏に代表が代わり一般社団法人「震災復興支援協会つながり」と名称変更
(「主たる場所」や「目的」も変更)
法人の活動内容も変わる


という経緯になるはずです。

少なくともつながりの法人登記簿からは法人や事業の譲渡の痕跡はうかがえず、当時の勝又氏のブログ等を見ても、共同浴場の設立を目指していた様子はありません。

また、A氏本人の証言によりますと、

・つながりの代表や他の理事の方と親交はあり、つながりの理事に名前は連ねているが、魚竜の湯設立のための活動や撤退作業をつながり(代表の勝又氏、理事の方などを含めて)が手伝った事実はない。
A氏もつながりの活動を手伝ったことはない。
・法人や魚竜の湯に関わる事業をつながりおよび勝又氏はもちろん、他の方へ引き継いでもいない。
・魚竜の湯事業のためのNPO設立申請に際し、数名の方に理事等の役員になっていただいたが、つながりの代表や理事の方々とは全く別の人物。このNPOは解散した。


とのことでした。

以上から、本に記載された

・「つながりの設立は~設立当時の活動目的は南三陸町歌津に建設を予定していた共同浴場「魚竜」の運営だった。」
・「現在の勝又代表が引き継ぐ形で残った」

の2点について、A氏や関係者の証言やそれを裏付ける当時の第三者の記録、登記簿等の情報を出版社に提示し、訂正が必要と認めていただきました。


A氏が魚竜の湯の設立を目指したのは、避難所にあった旧・魚竜の湯のようなコミュニティの場をまた作りたい、仮設のお風呂は狭く追い炊きができないため、足を伸ばしてくつろぐことができる入浴施設を作りたい、との気持ちからでした。

南三陸町歌津の方々はA氏が懸命に旧・魚竜の湯の運営にあたっていた時期をよく知っており、A氏の活動を見守ってきたのは、「あの時にお世話になったから」という思いがあったからです。
そしてA氏に対してだけでなく、南三陸歌津を中心に活動し長期滞在されていたボランティアの方々に対しても同様でした。

『ボランティアという病』やこのブログを読まれる方々の多くは南三陸町歌津のこうした人間関係や、魚竜の湯の活動についてはご存知なく、本筋に関係ない、ささいなことと思われるかもしれません。
実際に、「なぜ訂正を求めるのか」という声はたくさんいただきました。

しかし熊本地震以降つながりが注目を浴びてさまざまな情報が飛び交っており、2011年3月に地方新聞に掲載されたつながりの記事も検索され、交友関係や噂レベルの話までも多数出回っている状況です。
つながりの前身であるという団体の活動や関係者について調べたり、ネガティブな感情を持つ人がいないとは思えません。

そうなると、前身であると書かれた魚竜の湯に関係する方々、協力してきた町内外の方々にもさまざまな影響が及びます。

この書籍の出版の目的を、編集長のK様から「ボランティアの本来あるべき形を逸脱した人々への警鐘のため」とうかがいました。
「ボランティアの本来あるべき形の逸脱」による弊害とは、被災地域の方々が気分を害されること、不利益を蒙ることだと思います。


小さな町で暮らす方々は信用と、人間関係が何より大切です。
事実と異なる記述によって地元の方々の人間関係や商売に影響しては困りますし、お世話になった真摯なボランティアの方の名誉が不当に傷つけられること、協力してくださった方々を落胆させることも避けなければなりません。

上記の理由から記述の訂正を求めましたが、この書籍が手に取られることを邪魔する意図は全くなく、出版の目的通りに"本来あるべき姿を逸脱したボランティア活動に警鐘を鳴らす"ものになればと思っております。
(訂正までの経緯については次に公開するページにてご説明いたします。)

これからも災害ボランティアについて、特に南三陸町で活動したボランティア団体に関して書かれた書籍は、南三陸町の方々にも安心して手に取っていただけるものであることを願っています。


※当事者や南三陸町の方々、宝島社様にご迷惑がかかることがないよう、この記事に関してコメントをいただきましても、お返事をさしあげることは控えたいと思います。ご了承ください。
もし何かございましたら非公開コメントとしていただくかこちらのフォームをご利用いただきますよう、ご配慮をお願いいたします。
さらに流言を広めたり、当事者・関係者へ証言を強いて不快にさせること、個人情報を当人に無断で公開することもお控えください。


スポンサーサイト

PageTop


「増補版 僕はしゃべるためにここ(被災地)へ来た」
笠井信輔/著 (新潮文庫)


「とくダネ!」でおなじみのフジテレビアナウンサー、笠井信輔氏の著書です。
当初産経新聞出版からハードカバーで発売されましたが、2016年になって新潮文庫から増補版が発売になりました。

東日本大震災発生後、都内の大渋滞を経て仙台を目指した笠井アナウンサー。
当日から炊き出しの煙があがっていた神戸の震災後に比べ、最初に到着した東北の災害現場はあまりにも静かだったそうです。

生きるために壊れたコンビニから物を盗む人を見て、どうにもできなかったこと。
カメラを向けることも憚られるが、現地の人には「テレビ局の人間が犯罪を見逃すのか」と責められる。

取材した人が「水がないんです」と語るが、車に自分たちが飲むだけの水は積んである。
水をあげたいが、その場にはたくさんの人がいる。その人だけに水をあげるわけにはいかない。
ある時は自分の無事を親類に知らせてほしいと頼まれる。
この人の頼みだけを引き受けていいのか・・・?

取材に行く自分たちは現地で買い物をしてはいけない、避難所でトイレを借りるわけにはいかない、被災した人達の前で食事をしてはいけない。
避難所で明るくポップコーンを作って過ごす人達から「食べてみて」とすすめられるが、もらってはいけない立場。
誰かにだけ特別に食料を分けたりすることも無責任なことだと分かっている一方で、報道よりも物資を配るべきではないかとも思う。
ガソリンがなく、誰かを探し歩いて疲れ果てた人たちを見かけるけれど、一部の人にだけ便宜をはかってはいけない。
ましてや取材協力と引き換えにしてはいけない。
やりきれなくて宿でビールを飲んでしまったり、着替えを借りて体を休めることにも罪悪感を持ってしまう。

真に迫る映像や証言を取りたいけれど、これを報道して良いのか。
モザイクをかけなくて良いのか。実名で良いのか。
こんなつらいことを聞いてしまって良いのか。聞かなければならないのか。
そして東京にいる人達と現地で取材にあたる人達との間にできていく温度差。

笠井さんに限らず、震災の取材にあたった方々は報道の人間としての責務や欲目が当然ある一方、そのつらさや葛藤も大きかったことと思います。
(私も震災後に故郷の南三陸町でたくさんの報道の方を見かけ、出身者でありボランティアとして取材を受けたりもしましたが、みなさんそのような葛藤はもらさず、礼儀正しく接してくださいました。)

東日本大震災の取材の様子が主ですが、神戸の震災の時も取材されているため、当時の様子も書かれています。
神戸での取材の反省や葛藤、東北の人と関西の人との気質の違い、フジテレビの災害取材のあり方が定まっていく様子なども書かれていました(ヘルメットの着用義務、情報番組と報道番組の垣根を越えた映像の共有など)。

印象的なエピソードがいくつかあります。

一番最初に取材をした避難所の方がどうしても伝えたいことが、「こういうことに困っているから助けてほしい」ではなく、「とにかくすぐに逃げること」だったという話。

お母さんかもしれない遺体が見つかって収容されるのを待つ小さな娘さんの言葉。

子どもたちをかかえてようやく水に浮いているところを、しがみついてくるおばあさんを蹴って生き残ったのだと告白する女性。
「助かった子どもたちの未来を考えましょう」と励まされるものの、やはりそうカンタンに心を切り替えられるものではないでしょう。
(気楽に傾聴ボランティアに行きたい、話を聞きたい気持ちを知りたいと思われている方は、こういう経験をした方に接する覚悟と勉強をよくよくした上で行っていただきたい。)

東北に来られて「被災地で元気をもらった」と言う方も多いのですが、被災したとは思えないほど明るい母娘が、実は心の中ではずっと必死でに闘っていたというのは、実にリアルな話だと思います。

報道に関することでも、話のプロならではのエピソードが盛り込まれています。
ベテランならではの切り替えや対応の早さ。テレビの人間なので映像ありきの話に慣れていて、映像なしで情景を伝えることの難しさに突き当たる様子、携帯電話も通じない被災地での苦労やトラブルなども書かれています。

冷静に、淡々としすぎていても違和感があり、感情がこみあげてくれば視聴者の反応は賛否両論。

神戸の震災の時にサインを求められて応じたところ、会社から「タレントじゃないんだ」と怒られたので、東北ではカメラが回っていないところで応じたそうです。
ところが、軽部真一アナウンサーが岩手に行って歓迎される様子は慰問にもなり得ていて、あたたかいものだったというエピソードはほほえましく、その光景が目に浮かぶようです。

実は2013年1月に開催された都立高校PTAの「復興支援シンポジウム」で、笠井アナウンサーが講演をされたのを聞く機会に恵まれました。
書籍に書かれているエピソードを中心に、報道の人間としての葛藤の他、余震の続く東京に奥さんと子どもさんを残して被災地へ取材に行く笠井さんの思いと、ご家族の不安も語ってくださいました。
いつか子どもさんにこの本を手にとってほしいという思いも込めて書かれたそうです。

恥ずかしながら講演後のパネルディスカッションに私もパネリストとして参加させていただき、笠井さんや都立高校PTAの方々とお話しさせていただきました。

司会の方の親類が南三陸町歌津の商店だということが分かったり、神戸のご出身でご家族が焼肉屋さんをなさっている方から、地震当日に冷蔵庫から食材を出し、炭を焚いて炊き出しをしたというお話もうかがいました。
災害時に家屋が水に塗れてしまうのとそうでないのとではすごく違うのだなと思いました。

そのお話と、神戸には数時間後に入ることができたと笠井さんがお話しされていたため、当日の神戸はそんなにスピーディだったのかと思っていたのですが、この本を読んだら北海道の災害なども取材をされてきた笠井さんの機転があってこその早い現地入りだったことが分かりました。

また、生きるために壊れた店舗から食料を盗む人達の様子(申し訳なさそうにしている人、ニコニコしている人)を目にしていた笠井さんに、当時岩手のスーパーに勤務していた親類の話をしました。
盗まれてしまうので危険だから、それよりはと配っていたと。
もちろんそうした事例がすべてではなく、笠井さんが見られた現場とは違うかもしれませんが、その時に晴れやかに微笑まれたのが印象に残っています。


PageTop
natumaturi2016.jpg

「南三陸夢メッセージ花火2016」への協賛をいただいた皆様、ありがとうございました。

おかげさまで、今年も昨年と同じくらいの花火を用意できることになったと聞いております。

先日7/30に「志津川湾夏まつり福興市」が無事お天気に恵まれて終了し、明日8/7(日)は歌津復興夏まつりが開催予定です。

会場となる伊里前福幸商店街(いさとまえふっこうしょうてんがい)は現在本設の商店街の嵩上げ工事のため、海に面した場所に移転しております。
昨年までより海に近い場所で見る花火は格別かと思いますので、ぜひお出かけください。

お祭りには今年もBIGINの比嘉栄昇さんが来てくださいます。
野々田万照さんの演奏も素晴らしいので、この機会を逃さず聴いてくださいね。

■歌津復興夏まつり(2016)
平成28年8月7日(日) 10:00~21:00
会場 伊里前福幸商店街特設会場
〒986-0700 宮城県本吉郡南三陸町歌津伊里前29−1

☆南三陸町観光協会HP
歌津復興夏まつり2016

出演者、タイムスケジュールなど

歌津復興夏まつり公式ウェブサイト
会場地図・シャトルバスなどについてはこちら

今はみなさまからの協賛をいただき、ボランティアのみなさまにもお手伝いしていただいておりますが、個人的にはいずれ町の中だけで完結し、皆様へのお礼としてどこかの地域のお祭りの協賛ができるようになるといいなと思っております。
それまでは、またみなさまのお力添えをいただくかもしれません。
何卒よろしくお願いいたします。


「志津川湾夏まつり福興市」関係者のみなさま、出演者・ボランティアみなさま、お疲れ様でした。
「歌津復興夏まつり」関係者、ボランティアのみなさま、出演者のみなさま、熱中症などに気をつけて、イベントを盛り上げてください。


PageTop
前のページからの続きです。

観光協会のお店、ウタちゃんショップ。
観光協会のグッズの他、町内からの出品でいろいろなグッズが並んでいます。

IMG_8998.jpg

こちらは南三陸町を応援してくださっている方から贈呈されました。
このデザインのステッカーも販売されていました。
IMG_8999.jpg

BRTの模型。
IMG_9002.jpg

いつの間にかウタツギョリュウの化石が!?
(レプリカだそうです。)

IMG_9001.jpg

商店街に魚竜館が併設されればいいのになぁ・・・

伊里前福幸(ふっこう)商店街にも顔ハメがあります。
こちらは沖縄まで流されて戻ってきたポスト君のイラストです。
IMG_9091.jpg

つづいてマルエーさん。
店頭・店内の写真を忘れましたが、新商品の写真を。

オリジナルの南三陸ウインドブレーカー、ポロシャツ、がんばっぺ南三陸Tシャツ、歌津魚竜Tシャツ、南三陸の名物をモチーフにしたタオルなど、お土産向けの商品も人気です。
衣料品店ですが、パティスリー・くりこの絆ロールも販売しています。

IMG_8985.jpg

IMG_8989.jpg

IMG_9104.jpg

桐谷美鈴さんが来たそうです。

CmpMhy3UkAAkYzF.jpg

静岡県の方が描いてくださった震災前の歌津の絵も、絵ハガキになって販売されています。
売り上げはすべて伊里前の復興支援にあてられます。

IMG_9093_2.jpg


このハガキと、蜘蛛仙人さんのこの本はマルエーだけでの販売です。
(蜘蛛仙人さんの本はQRさんのホームページでもお申し込み可能です。
「蜘瀧仙人──僕が歌津にいた理由」

spider_cover-281x400.png

「ふるさと歌津の草花」も、ウタちゃんショップとマルエーで販売しています。
この本、昭和62年に出てるんですね。
山野草や山歩きが好きな方におすすめです。

CnJbjdCVMAAilj5.jpg

「おのくんだ!」と思ったらマサル君だそうです。確かにちょっと違う・・・
IMG_8984.jpg

お隣は、ナカノ電気商会さん。
店内は広々としています。

IMG_9036.jpg

IMG_9037.jpg

IMG_9038.jpg

IMG_9039.jpg

そして、B.J ヤマウチ(ヤマウチパーマ)さん。
新しい自宅と店舗が建ったら移転されるそうです。さみしい・・・・

トリートメントをいただいて使ってますが、おすすめですよ。

IMG_8978.jpg

IMG_8977.jpg

IMG_8976.jpg

IMG_9047.jpg

植物好きの方が多いので、お花がいっぱいです。

IMG_9044.jpg

IMG_9045.jpg

IMG_9003.jpg

IMG_9046.jpg

移動郵便局・ポスクルが来てくださっています。
悠々とカモメが。

IMG_9068.jpg

IMG_9069.jpg

そして、寄贈されたお地蔵さんも一緒にお引越ししてきました。
伊里前地区で亡くなられた方の人数+1体をいただき、商店街のみなさん、商店街に来られた方々が手を合わせています。
帽子を編んでくださった方がいたり、鐘やお線香立てが用意されたりとバージョンアップし、常にお菓子やお花が供えられています。

IMG_9061.jpg

IMG_9062.jpg

商店街裏手から伊里前小学校、歌津駅が見えます。

震災前はこの道路に沿って商店街がありました。
もはやこの横断歩道(光パーマと高清さんがあったところ)がないと実家がどのあたりだったか分かりにくくなっています。

IMG_9085.jpg

IMG_9082.jpg

IMG_9077.jpg

IMG_9076.jpg

三嶋神社はすぐそばです。
IMG_9073.jpg

カットクラブチバさんは枡沢に移転されました。
商店街の各店舗、カットクラブチバさんの連絡先は観光協会のページでどうぞ。

南三陸町観光協会HP
伊里前福幸商店街


本設の商店街に移転後は飲食店も入る予定だそうです。
それまではこの海の眺めを楽しみにいらしてください。

IMG_9059.jpg


PageTop
IMG_9088.jpg

小学校の登校坂のそば、旧公民館のあたりにあった伊里前福幸(ふっこう)商店街は、嵩上げのため三嶋神社のすぐ下で移転営業中です。
海に面した場所を嵩上げしてあり、海風が心地よいです。

所在地は
宮城県本吉郡南三陸町歌津字伊里前29-1
となります。

嵩上げが終われば、元の仮設商店街の場所、伊里前96番地に戻り、本設の商店街としてオープンします。

IMG_9034.jpg

IMG_9056.jpg



IMG_9057.jpg

IMG_9058.jpg


IMG_9064.jpg

IMG_9065.jpg

IMG_9066.jpg

では、移転中の商店街のお店を紹介します。

まずはマルアラ 及川商店さん。
外にきれいな木のテーブルとイスがあり、うに丼やソフトクリームが食べられます。

各地の催事にも出展されていて、タコわさびやホタテわさびで有名です。
(立派な箱詰めもあるので、贈答品にもおすすめですよ。)

IMG_9029.jpg

IMG_9030.jpg

IMG_9031.jpg

IMG_9070.jpg

最近の個人的お気に入りはめかぶ茶です。
お湯を注いで1~2分待つだけ。

IMG_9033.jpg

CnENIRSVUAAvrdT.jpg

大衆ストアさん。
いつも店頭においしそうな果物が並んでいます。
野菜や調味料など地元向けの方の食材だけでなく、お土産になるお菓子も扱っています。
ホンコン焼きそばや気仙沼パンなど、地域限定ものもゲットして行ってください。
野菜の種、お仏壇やお墓参り用のお花もあります。

IMG_9054.jpg

IMG_9055.jpg

IMG_9053.jpg

IMG_9028.jpg

まきの衣料さん&アングラーズショップ大隆丸さん。
店内には衣料品や雑貨だけでなく、釣り道具もたくさん。
釣り船も出されています。

ちょうどお世話になっている方々が東京から来て釣りを楽しんでいたようで、大きなヒラマサやねうを分けていただきました。
南三陸での釣りを楽しみたい方はぜひ。

IMG_8964.jpg

IMG_8963.jpg

IMG_8962.jpg

アスリートヤマウチさん。
「歌津」という文字が入ったモンベルのTシャツも販売されています。

IMG_9025.jpg

IMG_9026.jpg

IMG_9027.jpg

佐藤酒店さん。
昼間は酒屋さん、夜は居酒屋さんになります。
立派なカウンター席ができていました。

オリジナル商品「うだづもっこ」(焼酎)「南三陸歌津」(歌津)も販売中。

昼間でも缶ビールを買って外のテーブルとイスで飲めます。ノンアルコールビールもありますので。
海沿いを歩いたり、釣りをした後に缶ビールを買って、海風に吹かれながら飲むと幸せになれます。

IMG_8965.jpg

IMG_8967.jpg

IMG_8968.jpg

IMG_8970.jpg

IMG_9035.jpg

長くなってきたのでウタちゃんショップ、マルエー、ナカノ電気さん、ヤマウチパーマさん、周辺の写真は次のページに分けます。


PageTop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。