南三陸町と周辺地域への祈り

宮城県南三陸町(旧志津川町と歌津町)歌津の出身です。世界中の皆さんからのご支援に感謝です。本吉町・気仙沼市ゆかりの方、宮城県内・他県の皆さんも一緒に頑張りましょう!

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先日8月5日に発売された「ボランティアという病」(丸山千夏著・宝島社新書)に書かれた内容について、事実と異なる記述がありました。

一般社団法人 震災復興支援協会つながりについて書かれている章で、

「つながりの設立は~設立当時の活動目的は南三陸町歌津に建設を予定していた共同浴場「魚竜」の運営だった。この計画が頓挫した後、現在の勝又代表が引き継ぐ形で残ったのが、一般社団法人「震災復興支援協会つながり」である。」(P.36)

とありますが、共同浴場「魚竜(ぎょりゅう)」の設立を目指していた方の活動と、つながり及びつながり代表の勝又氏との活動は全く別のもので、双方の活動を手伝い合ったり、法人組織や事業を引き継ぐ等の事実はありませんでした。

「震災復興支援協会つながり」は南三陸町、常総市などでボランティア活動をしてきた団体で、2016年4月の熊本地震直後に熊本県御船町に入った際にネット上で批判が噴出し、週刊文春でも取り上げられました。
(※こちらについては次に公開するページで後述いたします。)

この書籍もつながりの活動について批判的な内容となっており、南三陸町の方々のつながりに対する感情や、「あの人はつながりと親しいのか」との誤解から、南三陸町内の人間関係が「ぎくしゃく」していく様子も書かれています。

一方「魚竜の湯」は南三陸歌津の避難所に設置された浴場からスタートしており、町内外の方々からたくさんの応援をいただいていました。
(※「魚竜」は旧歌津町でウタツギョリュウという魚竜化石が見つかっていることから、南三陸町歌津地区では非常に親しみのある名称です。)

魚竜の湯の設立を目指していたA氏や、協力者であった方々はこの件を知ってとても驚き、私以上に悩まれていました。
この本を読まれた方々は共同浴場「魚竜」の活動とつながりを同一視し、魚竜の湯の活動にネガティブな印象を持ってしまうでしょう。
なにより、魚竜の湯の応援・協力をしてきた町内外の方々が不利益を蒙ってしまうことを懸念したからです。

この記述が事実と異なることを出版社の方へお話ししまして、宝島社公式ページ著者の方のtwitterアカウントにて、他の記述とともに訂正アナウンスをしていただき、重版になった場合には修正のご対応をいただくことになりました。


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宝島社公式サイト: 「宝島社新書『ボランティアという病』に関する訂正とお詫び」→★

訂正後 「同新書の36ページ10行目の「つながりの設立は」から13、14行目「一般社団法人「震災復興支援協会つながり」である。」までの文を以下のように変更します

勝又代表を中心として、海岸清掃などの活動をしていた任意団体「TSUNAGARI」が2012年10月に一般社団法人として法人化したのが「つながり」の発祥だ。その後、2014年には「一般社団法人震災復興支援協会つながり」という現在の名称になり、2015年11月には勝又代表を除く全理事が交代して、現在に至っている。」

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訂正のお知らせ_s


お忙しいところご対応いただきました宝島社の皆様、著者の丸山様にはお礼申し上げます。

そして出版社へ訂正のお願いをするにあたって、「魚竜の湯」の設立を目指していたA氏本人だけでなく、複数の方々から証言等のご協力をいただきました。
他にもたくさんの方々から法的見解や出版事情などを含めたさまざまなご助言をいただき、心から感謝しております。

また、すでに出版済みの書籍でありますため、拙ブログにて事実関係について説明することもご了承いただきました。
(この原稿は当事者であるA氏にもご確認いただき、宝島社のK編集長様にもお見せしています。)


著者の方によりますと、ある方の証言とつながりの法人登記簿に理事としてA氏の名前があることから上記の記述をなさったようですが★「#ボランティアという病 」(宝島新書) 事実関係に関するご指摘に関しまして #TSUNAGARI、A氏の活動とつながりの法人の設立過程(法人登記簿より確認)を時系列にしますと以下のようになります。

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・2011年4月
歌津中学校避難所に東京の企業が立ち上げたボランティアチームV (A氏が参加)による浴場「魚竜の湯」ができる
避難所以外の町内の方々、ボランティアの方々も利用し、コミュニティの場としても機能していく

・2011年8月
避難所閉鎖に伴い魚竜の湯も解体
A氏が南三陸町に住民票を写し、共同浴場「魚竜の湯」の設立準備に入る

・2012年6月
A氏がコミュニティスペースとカラオケボックスをオープン
2012年秋までに上記に隣接する形で浴場施設も建設予定だった

・2012年7月~
浴場のオープンまでの収益源と考えていたカラオケボックスの営業、浴場の建設ともに難しいことが判明
他に魚竜の湯をオープンする手立てを模索するが、計画をあきらめる。
「魚竜の湯」事業の引き取り手が見つからなかったため、すでに建設した建物を地主の方にお譲りし、運用を町の方にお任せした

・2012年9月~10月
A氏が9/20より南三陸町と地元を行き来し、南三陸町から撤退するための手続き等を始める。
10月から地元で建築にかかった費用の返済のために働き始める

・2012年10月23日
一般社団法人「震災復興支援協会つながり魚竜」設立
勝又氏が代表兼理事、理事にA氏や、南三陸町の住民の名前がある。

・2012年11月2.3日
魚竜の湯支援者の方が南三陸を訪れる
A氏も都合を合わせて南三陸へ戻り、挨拶をしている
(魚竜の湯建設計画が頓挫したことは事前にお伝え済み)

・2013年夏
A氏が南三陸町を訪問。草刈作業などを手伝っている。

・2014年12月26日
一般社団法人「震災復興支援協会つながり魚竜」から一般社団法人「震災復興支援協会つながり」に名称変更
代表・理事に勝又氏が重任、A氏の他、南三陸町の住民を含めた設立当初の理事が退任
(2015年11月9日登記)

※法人登記簿(履歴事項全部証明書)は管轄局以外ですとコンピューター化以前の履歴が含まれたものが取得できませんが、参照したつながりの法人登記簿(履歴事項全部証明書)はコンピューター化以前の変更履歴がないことを確認済みです。

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私が把握している法人設立以前のつながりの災害支援活動は、南三陸町歌津泊浜の避難所を中心した物資支援と、その後の海岸の清掃などで、代表の勝又氏のブログを見ると2011年3月には街頭募金等の活動をスタートしています。
南三陸町でのつながりの主たる活動は、清掃などを含めた長須賀海水浴場の再開に関するものかと思います。

上記の経過と、「一般社団法人 つながり」の法人登記簿(履歴事項全部証明書)から分かることは

・法人の「代表」は当初より勝又氏で、A氏ではない。
・「主たる場所」は魚竜の湯建設予定場所でもA氏の南三陸町内の住まいでもなく、魚竜の湯に関係のない場所である。
(この点は南三陸歌津の方やA氏を知るボランティアの方々であればすぐに気づくことです。)
・「目的」に魚竜の湯に関する具体的な内容が明記されていない
(「コミュニティを創造」など、近いものはある)
・A氏は魚竜の湯の設立、勝又氏は海岸清掃などの活動を別々に行っていた(活動していた地区も異なります。)
・法人の設立は2012年の10月23日だが、A氏は同年9月20日から地元での仕事再開の準備を始め、南三陸町から撤退。10月から地元で働いている。
理事の中でA氏だけが町内にいない状態だった。
・A氏が設立時に理事として名を連ねていることは確かだが、2014年12月26日に退任(南三陸町内の他の理事の方も同時に退任)。


という点です。

書籍に書かれた通りであれば

A氏が一般社団法人「震災復興支援協会つながり魚竜」設立
(法人登記簿の「主たる場所」と「目的」は魚竜の湯に関するもの。「代表」も勝又氏ではなくA氏)

魚竜の湯の計画が頓挫

勝又氏に代表が代わり一般社団法人「震災復興支援協会つながり」と名称変更
(「主たる場所」や「目的」も変更)
法人の活動内容も変わる


という経緯になるはずです。

少なくともつながりの法人登記簿からは法人や事業の譲渡の痕跡はうかがえず、当時の勝又氏のブログ等を見ても、共同浴場の設立を目指していた様子はありません。

また、A氏本人の証言によりますと、

・つながりの代表や他の理事の方と親交はあり、つながりの理事に名前は連ねているが、魚竜の湯設立のための活動や撤退作業をつながり(代表の勝又氏、理事の方などを含めて)が手伝った事実はない。
A氏もつながりの活動を手伝ったことはない。
・法人や魚竜の湯に関わる事業をつながりおよび勝又氏はもちろん、他の方へ引き継いでもいない。
・魚竜の湯事業のためのNPO設立申請に際し、数名の方に理事等の役員になっていただいたが、つながりの代表や理事の方々とは全く別の人物。このNPOは解散した。


とのことでした。

以上から、本に記載された

・「つながりの設立は~設立当時の活動目的は南三陸町歌津に建設を予定していた共同浴場「魚竜」の運営だった。」
・「現在の勝又代表が引き継ぐ形で残った」

の2点について、A氏や関係者の証言やそれを裏付ける当時の第三者の記録、登記簿等の情報を出版社に提示し、訂正が必要と認めていただきました。


A氏が魚竜の湯の設立を目指したのは、避難所にあった旧・魚竜の湯のようなコミュニティの場をまた作りたい、仮設のお風呂は狭く追い炊きができないため、足を伸ばしてくつろぐことができる入浴施設を作りたい、との気持ちからでした。

南三陸町歌津の方々はA氏が懸命に旧・魚竜の湯の運営にあたっていた時期をよく知っており、A氏の活動を見守ってきたのは、「あの時にお世話になったから」という思いがあったからです。
そしてA氏に対してだけでなく、南三陸歌津を中心に活動し長期滞在されていたボランティアの方々に対しても同様でした。

『ボランティアという病』やこのブログを読まれる方々の多くは南三陸町歌津のこうした人間関係や、魚竜の湯の活動についてはご存知なく、本筋に関係ない、ささいなことと思われるかもしれません。
実際に、「なぜ訂正を求めるのか」という声はたくさんいただきました。

しかし熊本地震以降つながりが注目を浴びてさまざまな情報が飛び交っており、2011年3月に地方新聞に掲載されたつながりの記事も検索され、交友関係や噂レベルの話までも多数出回っている状況です。
つながりの前身であるという団体の活動や関係者について調べたり、ネガティブな感情を持つ人がいないとは思えません。

そうなると、前身であると書かれた魚竜の湯に関係する方々、協力してきた町内外の方々にもさまざまな影響が及びます。

この書籍の出版の目的を、編集長のK様から「ボランティアの本来あるべき形を逸脱した人々への警鐘のため」とうかがいました。
「ボランティアの本来あるべき形の逸脱」による弊害とは、被災地域の方々が気分を害されること、不利益を蒙ることだと思います。


小さな町で暮らす方々は信用と、人間関係が何より大切です。
事実と異なる記述によって地元の方々の人間関係や商売に影響しては困りますし、お世話になった真摯なボランティアの方の名誉が不当に傷つけられること、協力してくださった方々を落胆させることも避けなければなりません。

上記の理由から記述の訂正を求めましたが、この書籍が手に取られることを邪魔する意図は全くなく、出版の目的通りに"本来あるべき姿を逸脱したボランティア活動に警鐘を鳴らす"ものになればと思っております。
(訂正までの経緯については次に公開するページにてご説明いたします。)

これからも災害ボランティアについて、特に南三陸町で活動したボランティア団体に関して書かれた書籍は、南三陸町の方々にも安心して手に取っていただけるものであることを願っています。


※当事者や南三陸町の方々、宝島社様にご迷惑がかかることがないよう、この記事に関してコメントをいただきましても、お返事をさしあげることは控えたいと思います。ご了承ください。
もし何かございましたら非公開コメントとしていただくかこちらのフォームをご利用いただきますよう、ご配慮をお願いいたします。
さらに流言を広めたり、当事者・関係者へ証言を強いて不快にさせること、個人情報を当人に無断で公開することもお控えください。


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「増補版 僕はしゃべるためにここ(被災地)へ来た」
笠井信輔/著 (新潮文庫)


「とくダネ!」でおなじみのフジテレビアナウンサー、笠井信輔氏の著書です。
当初産経新聞出版からハードカバーで発売されましたが、2016年になって新潮文庫から増補版が発売になりました。

東日本大震災発生後、都内の大渋滞を経て仙台を目指した笠井アナウンサー。
当日から炊き出しの煙があがっていた神戸の震災後に比べ、最初に到着した東北の災害現場はあまりにも静かだったそうです。

生きるために壊れたコンビニから物を盗む人を見て、どうにもできなかったこと。
カメラを向けることも憚られるが、現地の人には「テレビ局の人間が犯罪を見逃すのか」と責められる。

取材した人が「水がないんです」と語るが、車に自分たちが飲むだけの水は積んである。
水をあげたいが、その場にはたくさんの人がいる。その人だけに水をあげるわけにはいかない。
ある時は自分の無事を親類に知らせてほしいと頼まれる。
この人の頼みだけを引き受けていいのか・・・?

取材に行く自分たちは現地で買い物をしてはいけない、避難所でトイレを借りるわけにはいかない、被災した人達の前で食事をしてはいけない。
避難所で明るくポップコーンを作って過ごす人達から「食べてみて」とすすめられるが、もらってはいけない立場。
誰かにだけ特別に食料を分けたりすることも無責任なことだと分かっている一方で、報道よりも物資を配るべきではないかとも思う。
ガソリンがなく、誰かを探し歩いて疲れ果てた人たちを見かけるけれど、一部の人にだけ便宜をはかってはいけない。
ましてや取材協力と引き換えにしてはいけない。
やりきれなくて宿でビールを飲んでしまったり、着替えを借りて体を休めることにも罪悪感を持ってしまう。

真に迫る映像や証言を取りたいけれど、これを報道して良いのか。
モザイクをかけなくて良いのか。実名で良いのか。
こんなつらいことを聞いてしまって良いのか。聞かなければならないのか。
そして東京にいる人達と現地で取材にあたる人達との間にできていく温度差。

笠井さんに限らず、震災の取材にあたった方々は報道の人間としての責務や欲目が当然ある一方、そのつらさや葛藤も大きかったことと思います。
(私も震災後に故郷の南三陸町でたくさんの報道の方を見かけ、出身者でありボランティアとして取材を受けたりもしましたが、みなさんそのような葛藤はもらさず、礼儀正しく接してくださいました。)

東日本大震災の取材の様子が主ですが、神戸の震災の時も取材されているため、当時の様子も書かれています。
神戸での取材の反省や葛藤、東北の人と関西の人との気質の違い、フジテレビの災害取材のあり方が定まっていく様子なども書かれていました(ヘルメットの着用義務、情報番組と報道番組の垣根を越えた映像の共有など)。

印象的なエピソードがいくつかあります。

一番最初に取材をした避難所の方がどうしても伝えたいことが、「こういうことに困っているから助けてほしい」ではなく、「とにかくすぐに逃げること」だったという話。

お母さんかもしれない遺体が見つかって収容されるのを待つ小さな娘さんの言葉。

子どもたちをかかえてようやく水に浮いているところを、しがみついてくるおばあさんを蹴って生き残ったのだと告白する女性。
「助かった子どもたちの未来を考えましょう」と励まされるものの、やはりそうカンタンに心を切り替えられるものではないでしょう。
(気楽に傾聴ボランティアに行きたい、話を聞きたい気持ちを知りたいと思われている方は、こういう経験をした方に接する覚悟と勉強をよくよくした上で行っていただきたい。)

東北に来られて「被災地で元気をもらった」と言う方も多いのですが、被災したとは思えないほど明るい母娘が、実は心の中ではずっと必死でに闘っていたというのは、実にリアルな話だと思います。

報道に関することでも、話のプロならではのエピソードが盛り込まれています。
ベテランならではの切り替えや対応の早さ。テレビの人間なので映像ありきの話に慣れていて、映像なしで情景を伝えることの難しさに突き当たる様子、携帯電話も通じない被災地での苦労やトラブルなども書かれています。

冷静に、淡々としすぎていても違和感があり、感情がこみあげてくれば視聴者の反応は賛否両論。

神戸の震災の時にサインを求められて応じたところ、会社から「タレントじゃないんだ」と怒られたので、東北ではカメラが回っていないところで応じたそうです。
ところが、軽部真一アナウンサーが岩手に行って歓迎される様子は慰問にもなり得ていて、あたたかいものだったというエピソードはほほえましく、その光景が目に浮かぶようです。

実は2013年1月に開催された都立高校PTAの「復興支援シンポジウム」で、笠井アナウンサーが講演をされたのを聞く機会に恵まれました。
書籍に書かれているエピソードを中心に、報道の人間としての葛藤の他、余震の続く東京に奥さんと子どもさんを残して被災地へ取材に行く笠井さんの思いと、ご家族の不安も語ってくださいました。
いつか子どもさんにこの本を手にとってほしいという思いも込めて書かれたそうです。

恥ずかしながら講演後のパネルディスカッションに私もパネリストとして参加させていただき、笠井さんや都立高校PTAの方々とお話しさせていただきました。

司会の方の親類が南三陸町歌津の商店だということが分かったり、神戸のご出身でご家族が焼肉屋さんをなさっている方から、地震当日に冷蔵庫から食材を出し、炭を焚いて炊き出しをしたというお話もうかがいました。
災害時に家屋が水に塗れてしまうのとそうでないのとではすごく違うのだなと思いました。

そのお話と、神戸には数時間後に入ることができたと笠井さんがお話しされていたため、当日の神戸はそんなにスピーディだったのかと思っていたのですが、この本を読んだら北海道の災害なども取材をされてきた笠井さんの機転があってこその早い現地入りだったことが分かりました。

また、生きるために壊れた店舗から食料を盗む人達の様子(申し訳なさそうにしている人、ニコニコしている人)を目にしていた笠井さんに、当時岩手のスーパーに勤務していた親類の話をしました。
盗まれてしまうので危険だから、それよりはと配っていたと。
もちろんそうした事例がすべてではなく、笠井さんが見られた現場とは違うかもしれませんが、その時に晴れやかに微笑まれたのが印象に残っています。


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蜘瀧仙人(スパイダー・八幡明彦)さんを偲ぶ会が2014年7月21日(海の日)に京都で開催されるそうです。

こちらのブログに日程や詳細など掲載されていますので、参加できそうな方はぜひご覧いただければと思います。
※参加の申し込みは7/11までとのことです。

↓ ↓ ↓
「八幡明彦とともに」ご案内(あちゃあちゃ猪飼野仙人日記)

RQさんの生前のロングインタビューもアップされ、かつて運営されていた蜘蛛の有名なサイト「みるかし姫」のページデータも見られるということなので、リンクを紹介しておきます。

土蜘蛛のヒロイン・みるかし姫の「クモニスト・インターナショナル」

スパイダーさんが「みるかし姫」のハンドルネームで運営していたサイトのデータのほとんどがこちらに残っているそうです。
蜘蛛のサイトといえばこのサイト、という存在だったとか。
「もののけ姫」論がおすすめとのこと。

東京クモゼミでの発表内容(PDF)

発表日は分かりませんが、2001年から2014年の新種「ウタツホラヒメグモ」の発見報道までの内容です。

追悼スパイダー・ロングインタビュー 「僕が歌津にいる理由」(聞き書きプロジェクト )

この他のインタビューやてんぐのヤマ学校、新聞報道などへリンクはRQさんのこちらのページ下のほう、「関連記事」にあります。


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先日このブログでもお知らせしていた一般社団法人 つながり(TSUNAGARI) 代表者への公開質問に関してご報告です。

一般社団法人 つながり 代表者 への公開質問状

指定した期日までに回答は得られませんでした。

謝罪文を掲載するという話も聞いておりましたが、それもないようです。


正直に言えばもともと、誠意ある回答が得られることはないだろうと思っておりました。

よく「こういう活動をしている人達がいるようで、協力したいのだけど、悪い話を聞いていないか?」というご相談をいただくのですが、私も悪い話を聞いているからといって、特に止めることはせず、それぞれのご判断に任せてきました。
この団体についても、このブログを含めたさまざまな判断材料から決断していただければと思います。

みなさんの善意や労力が、公正で真に復興のために活動されている方々につながりますように。

また、私に対する嫌がらせに関して心配してご連絡をくださった方、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。
本当にくだらない内容ですし、エスカレートするようでしたらしかるべき手段を取ります。

ご心配をおかけすることになってまでこういう形をとらせていただいた理由や経過は、お察しいただければと思います。

私も家族が無事だったとはいえ、幼稚園からずっと一緒で、高校時代も毎朝気仙沼線の中で小1時間ほど話して通学した幼馴染がまだ見つかっていません。
本人がどのような形を望んでいるのか分かりませんが、ご家族はどんな手がかりでもと思うでしょう。

良識ある方の善意によって、家族の元へ帰ってきてくれればと思っています。

また、実家で飼っていた2匹の猫も行方が分からず、ペット供養の機会を設けてくださった時に弔いました。
お墓に収めていた身内のお骨が流されて、ショックを受けた人達も知っています。

捜索で見つかる骨は人間の骨でないことが多いと聞いていますし、震災で亡くなられた方のものではないという可能性もありますが、そういう区別も悲しく、見つかった骨はみんな、誰かの大切な人や大切な家族であったかもしれないと思います。

心ある方の手によって、一人でも多くの方のご遺骨や手がかりが見つかりますように。

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先日、南三陸町を中心に活動している団体の活動報告に、非常に残念な内容が含まれていました。

その件について以下の通り、この場で公開質問をさせていただきます。

震災被害に遭われた方、ご家族・ご友人を亡くされた方、またそんな方々に思いを寄せてくださる方にとって、とても不快で辛い内容だと思われますので、知りたくはないという方はご覧にならないでください。


私も郷里・実家が被害を受け、家族や友人達が復旧・復興に向かって懸命に努力しています。

善意のボランティアの皆様には心から感謝する一方で、このような行為を非常に残念に思っています。

私の家族も震災後にパスポート等が見つかり、警察に届けられて無事に受け取っていますが、どのような方が見つけてくださるかによって、このような事態も起こり得るのかと身の震える思いです。

またこの件に関してご意見等ございましたら、こちらのフォームから私宛に直接お願いいたします。

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一般社団法人 つながり
代表 勝又 三成 殿

2014年3月6日
ブログ 「南三陸町と周辺地域への祈り」管理人


2014年2月12日、貴殿が参加された宮城県女川町・塚浜で行われた不明者捜索活動と、同日貴殿がFacebook上に投稿された活動報告、および貴殿が投稿された写真について、公開質問の形でうかがいます。

(経緯)
2014年2月12日、宮城県女川町・塚浜で行われた他団体の行方不明者捜索活動に、貴殿と貴団体のスタッフが参加。
同日、Facebook上で貴殿がその報告を行っていました。

その報告内容に、
・海底に骨(人骨かどうか、不明者のものかは現時点では判明していない。以下「骨」は同じ)があるのを撮した写真
・骨を持って海中で撮影した写真
・複数の骨を並べたもの
・海中で見つかった財布と財布の中に入っていたクレジットカード(所有者のフルネームが判別できるもの。カード番号の下4桁は隠れていた)、写真付きの証明書と思われるもの
・女川交番にて、警察が拾得物をあらためているところ
などが含まれていました。

私が同日その投稿のコメント欄にて、捜索活動に対する感謝と、投稿内容を見てショックを受けている方が複数いることを伝え、遺族感情への配慮、拾得物の持ち主が存命である可能性もあり、個人情報保護の観点からも骨と個人情報を含む拾得物の写真は削除していただくよう求めました。

それに対し、貴殿からの回答はありません。

現在はその投稿はなんらかの理由で削除されていますが、貴殿の友人・関係者が結託する形で、私を誹謗中傷する行為を展開しました。

以上について質問させていただきます。



(送付先、公開範囲等)

(1)貴団体の法人名は「 一般社団法人震災復興支援協会 つながり魚竜」「一般社団法人 震災復興支縁協会つながり」、他に「TSUNAGARI」などの表記もあるようですが、この質問状では「一般社団法人 つながり」と表記します。

(2)この件に関し、2/12 に貴殿のFacebookの投稿にコメントしましたが、回答のないまま私のアカウントはブロックされています。
また、2/15に貴団体のお問い合わせアドレス info@tsunagari-project.com (アットマークは半角)宛にメールにて回答をもとめ、その際に2/22 までに回答のない場合は公開質問状に切り替える旨、通達済みです。
3/5現在、回答をいただいていないため、公開質問の形をとらせていただきます。

(3)この質問状の送付先について、郵送でも送付することを検討しましたが、貴団体ホームページには拠点所在地の記載がなく、他サイトにある「南三陸町歌津大沼(番地は省略する)」では配達が不可能と思われること、また登記上の代表者住所よりもWEBを通しての送付が早く確実であると思われるため、以下を通して送付・通達します。


・貴団体ホームページ http://www.tsunagari-project.com にてお問い合わせ先として設定・公開されているアドレス info@tsunagari-project.com (アットマークは半角)

・貴殿ブログのコメント覧
http://ameblo.jp/katsumata3/

・Facebookの「Tsunagariつながり」ページ
(※こちらは「非営利法人」「Tsunagariつながり 」となっていますが、貴団体が運営するものと思われ、現在も更新されているのを確認したため)

なお、貴殿のFacebookアカウントは私のアカウントをブロックしているため、貴殿のアカウントでは通知を行えません。


(4)質問状の公開は、以下にて行います。

・私のブログ「南三陸町と周辺地域への祈り」を主とします
http://fightmiyagi.blog69.fc2.com/blog-entry-462.html


・私のFacebookアカウントでもそのページで公開質問状を出した旨を報告し、ブログの該当ページへリンクします。
(私のアカウントは貴殿からブロックされていますが、貴殿の友人・関係者が私のアカウントの投稿を閲覧等していることを把握しています)

・その他の媒体等でブログ該当ページへのリンクが私または、閲覧した第三者によってなされることがあります


(5)差出人である私の本名は貴団体宛のメールに記載します。
Facebookのアカウントでも確認可能です。
ブログの該当記事には記載しません。


(6)回答は、メールでの送付を希望します
その後もし別の方法でさらに詳細な回答をすることを希望される場合は、その旨もメールにて通達いただくことを希望します。
宛先は 貴団体ホームページ宛にメールを送付した際のアドレスとします。
それ以外への回答は無効とみなします。

(7)回答期限は2014年3月31日(月)とさせていただきます。

(8)下記の質問項目に対し、誠実な回答が得られない限り、この質問状はこのまま公開を継続します。

(9)いただいた回答については現時点で公開を考えておりませんが、公開をさせていただく可能性もあります。

(10)なお、先日より貴殿の知人や関係者が私に対して行っている卑劣な行為に対しても、配慮を求めます。
私以外の第三者に関しても同様です。
同様の行為または別の手段での嫌がらせ等が続く場合は法的手段を含め、しかるべき対処を取る所存です。


(質問内容)

1、2/12 の捜索活動に関して、依頼主とそれを引き受けた団体(団体名はここでは伏せます)とがあり、貴殿や貴団体のメンバーがそれに加わったものであると確認しています。
その点に相違はありませんか。

2、Facebookでの報告ではその点について記載がなかったのはなぜですか。


3、河北新報に掲載された、2/11の石巻市蛤浜の捜索の記事へのリンクがありましたが、これにも参加されていたのですか。


4、海中に骨がある写真が公開されていました。これは発見時のままの状態でしょうか。


5、骨を持った写真の撮影及び公開をした理由をお聞かせください。


6、見つかった財布と、その中に入っていたクレジットカード、写真付きの証明書と思われるものを撮影し、公開した理由をお聞かせください。
上記の物が投稿前に拾得物として警察に届けられたことは、貴殿や捜索活動を行った団体の投稿内容などから確認しています。


7、上記6に関して、存命の方のものであることが判明したということですが、存命であるという可能性は想像されていましたか。
また、持ち主に対しての謝罪は検討されていますか。


8、撮影や写真の公開時、ご遺族や震災の被害に遭われた方、その方々に思いを寄せる方々にとって、撮影や公開がどのような印象を与えるものだと思っていましたか。


9、私以外からも公開が不適切であるとの指摘がありましたが、その点についてどう思われていますか。


10、クレジットカードと証明書と思われる写真付きのものが映った財布の画像を削除、その後投稿全体が削除されたと把握しております。
先に財布の画像だけを削除された理由をお答えください。


11、上記画像の削除、その後投稿全体の削除は貴殿が行ったのでしょうか。それとも複数の違反報告を受けてFacebook側に削除されたのですか。



12、現在、上記の撮影や写真を公開したことについて、どのように考えられていますか。
また、今後も同様の行為を続ける予定でしょうか。



13、以前に、南三陸町長須賀の清掃活動に関して、参加した複数の児童の親御さんから、WEBや印刷物で子どもの名前や写真を無断で掲載しないでほしいとの要望があったことを把握しています。
その他、貴団体の活動に参加していないにも関わらず、貴殿のFacebookへの投稿で参加したと掲載されたため、「なぜ参加したのか」との問い合わせを受けた方がいることなども把握しています。


こうした点に関して真摯な反省や改善があれば、掲載内容にも自ずと配慮が生まれ、今回のような撮影や投稿もなかったのではないかと考えます。
その点についてもお考えをお聞かせください。


14、先日より貴殿の友人・関係者達が行っている、私に対する陰湿かつ卑劣な行為は、貴殿も把握・関与されているはずです。
また上記13に関して、清掃活動に参加した子ども達の心にも傷を残したことと思いますが、この件に関して、親御さん達を「モンペ」とFacebook上で発言されたことも確認しています。

このような行為は地域の子どもたちを預かり、共に清掃などの活動をする貴殿や貴団体にふさわしくないものと考えますが、この点についてもお考えをお聞かせください。


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