南三陸町と周辺地域への祈り

宮城県南三陸町(旧志津川町と歌津町)歌津の出身です。世界中の皆さんからのご支援に感謝です。本吉町・気仙沼市ゆかりの方、宮城県内・他県の皆さんも一緒に頑張りましょう!

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防潮堤のことすら反対とも賛成とも表明しないできましたが、BRTでなく鉄路復活に関してのお話です。

例によって「地元の人達が希望しているんだから」な脊髄反射する人たちがいそうなので、安直に飛びつく前に、くれぐれも現状や以前の状況などに耳を傾けていただければと思ったのと、鉄道の復旧を望む理由って、どこまで掘り下げられているんだろう?と思ったので。

長いですが、これすら読めない人は何を判断材料にして賛成・反対と言うんでしょうねと。

まず前提として、「全線の鉄路での復旧を早期に実現する南三陸の会」が発足して、たくさんの方が集まった、実際に鉄路の復活を望む人がそれ以上にいるだろうということ、これが事実です。
イコール南三陸町に住むすべての人が望んでいるということではないと思いますし、まずは鉄路の復活を望む人たちを中心に、やはり鉄路が必要か?現状のBRTの問題点は?鉄路を復活させるにあたってネックは?ということを議論していく場ができたという段階だろうと思います。

まず私の経験から。
ちなみに私は歌津駅に近い実家から、気仙沼線で気仙沼西高校に通っていました。
松岩駅からさらに4.5キロバスに揺られるなど露ほども知らず受験してしまったのです。

部活のあと、よく明かりもない氷点下の無人駅で一人、汽車を待っていました。
今でも覚えていますが土曜日(も学校があったというと年がバレる)に部活が終わるのが2時頃、16時の快速は松岩駅を通らないので次は17時台なのです。

ちなみに最終電車は松岩駅19:15、歌津駅に着くのが20:00ぐらいでした。
今でもしっかり覚えています。


■本数はBRTのほうが多く、最終もBRTのほうが遅い

これが今のBRTの時刻表です。歌津駅から気仙沼方面行き。
かつての気仙沼線は2~3時間に1本でしたから、これでもびっくりするような本数の増加です。

http://ekikara.jp/newdata/ekijikoku/1301441/down1_04605011.htm

20時台には寝る猟師さんもいる町で、21時台に汽車が走ったら怒られそうですが、バスならそれほど大きな音も立ちません。

だからといってBRT最高!かというと・・・


■気仙沼方面へ通学している学生は?

乗り切れないと親が送迎しないといけない、バスで長時間の移動はつらいと聞きます。

今はそんなに道路がでこぼこしているわけではないと思いますが、通学時間帯の混み具合を知らないので私は今通学している人たちの辛さが分かりません。

ちなみに都会の人が乗っている電車と気仙沼線では、スピード感など諸々違います。
揺れがひどいということはないですが。

私の高校時代、通学時間の気仙沼線は3両でした。
(伝統的に、学年ごとに乗る車両が決まっています。)

歌津からなら座れましたが私は遠慮して立っていました。
大谷あたりからはそれなりに混んでいて、都会の満員電車に比べたらかわいいものですが、それなりに詰め詰めの中立っている子たちがかわいそうでした。

朝、夕方はそれでもいいのですが、問題はテスト期間中です。

朝と夕方以外は1両か2両なので、高校のテスト期間が重なってしまうと乗り切れません。
階上や大谷の人たちが仕方なく、歩くとか親に迎えに来てもらうといってくれましたが、歌津の人間にはそれもいきません。

乗り切れない問題は当時もあったのです。


■治安面

灯りもない無人駅で女の子が一人汽車を待っているなんて、そんな経験はさせたくありません。

学生の多い日中に駅周辺におかしな人が出ることはありましたが、暗くて寒い時間に誰もいないだろうと思うのか、幸い私がいた時におかしな人が現れることはありませんでした。


今はボランティアなどでいろんな人が出入りするのが当たり前になりました。
これまでも観光でそれ以上の人たちが来ていましたが、生活圏に知らない人がいるのが当たり前になり、みんなあまり気に留めなくなりました。

実際おかしな輩が出入りしていることも、皆さんご存知のはずです。

気仙沼線はほとんどが無人駅でした。
BRTの停留所は元の駅と違い、志津川の商店街、アリーナなどは気仙沼線を利用しない大人の目がある程度届くところなので、治安面では以前よりずっと安心なのではと思います。


■年配者には辛いホームの高さ

みなさんご存知の通り、気仙沼線のホームの多くはある程度高い場所にありました。
それでも2011年は被害に遭ってしまったのですが。

年配者が利用しにくいのはこの高さにあったと思います。
孫を見送ろうにも足腰が弱くなったらホームまで上れません。

歌津駅は階段と坂道と両方があったのでまだいくらかいいとして、ほとんどの駅は階段だけでした。
これは年配者だけでなくケガをしていてもつらいでしょう。

実家に帰ると商店街にある店を手伝うのですが、町営バスの停留所になっているので、バスに乗る高齢の方が乗り降りする時に荷物を預かったりして、ちょっとお手伝いをさせてもらうことがあります。
高齢になったらバスの乗り降り自体がしんどいですから。
(それでも乗り降りができるうちはそうやってバスを利用しているわけですが。)

単に「高齢者が利用できない」ではなく、高いところにあるホームが無理、バスの乗り降りも無理、と段階があることも考慮していただきたいです。


■利用者の見込みは?

鉄道が復旧したとして、どのぐらいの人が利用するでしょうか?

私の頃よりはずっと子どもが減っていて、気仙沼女子高がなくなり、今度は気仙沼西高もなくなります。
南三陸から気仙沼方面へ通う生徒数はどのぐらいになるでしょうか。

そしてもうひとつ私の高校までと違う点は、女性ドライバーが増えていることです。

私の祖母はもちろん運転免許はなく、母も結婚前に免許を取ったまま長らくペーパードライバーでした。
今の50・60代~ぐらいの女性は運転をしない人が多かったと思います。


鉄道を使ってくる観光客はどのぐらい見込めるでしょうか?
以前はどのぐらいの人が鉄道を利用して来ていたのでしょうか。

今、「交流人口」を増やす?維持する?ための試みをしていますが、もし今町によく来ている人に鉄道を利用したいかどうか聞いて、「利用したい」と答えたとします。

鉄道の復旧に何年かかるでしょう。
5年?10年?
そのくらい経っても、その人たちが変わらず南三陸町に来てくれるでしょうか。

震災後に南三陸町に来てくれた人との縁がこのままになってしまわないように、長く続くように「交流人口」という言葉を掲げているのは分かります。

でも実際に、2011年にボランティアで長期滞在し、南三陸町で暮らしたいと思っていた人たちがたくさんいました。
南三陸町で何かやりたい、移住したいという人たちがあれだけいたのに、今はほとんどの人たちが他の場所でそれぞれの暮らしをしています。

どんなに行きたくても結婚や出産、仕事や家庭の事情など、人生のステージが変わって思うように動けない時期が来る可能性が誰にでもあります。

鉄道が復活した時の観光客の見込みは、その時にイチからPRして呼び込んでどのぐらいか、と考えるぐらいで良いと思います。

そもそも鉄道で南三陸町へ来ていただいたとして、町内での足はどうしますか?
レンタサイクルがあっても年配者が利用できますか。
雪やたっぺになる冬はどうしますか。
さんさん商店街でキラキラ丼を食べた後、自転車でどこまで行けますか。


現実的に、私が平日にBRTを利用した時にはガラガラでした。
仙台-気仙沼間を行き来する宮交(の関連会社)のバスもいつもガラガラで、よく継続してくれると頭が下がります。

利用した方々に聞いてもガラガラだったと聞きます。
混んだと聞いたのは、地震があった時に仙台行きの宮交のバスが混んで補助イスに座ったと聞いたぐらいです。


■南三陸町だけのこととして考えてはいけない

気仙沼線のことは、南三陸町の人だけでなく、気仙沼市(本吉町~階上)の人たちとも考えていくべきことだと思います。

そもそも通学や通院で気仙沼に行かなければならないなら、南三陸町で完結できるようにする方向性もアリではないでしょうか?

○○科にかかるには気仙沼へ行かなければいけない、という人が相当数いるなら、南三陸町の病院で対応できるようにすることも考える。
その人たちが車でなく汽車で移動するのかどうかも、もちろん考える。

本吉町病院の予防医療のその後は、気仙沼でしょうか石巻でしょうか仙台でしょうか。
鉄道の復活と医療を絡めるなら、南三陸町だけでなく沿線全体の話ではないでしょうか。

町外のみなさんはなぜ南三陸からわざわざ気仙沼の高校に通う人たちがいるか、ご存知ですか?
校風や部活で選んでいるわけではありません。

気仙沼に通うのはBRTだろうが汽車だろうがどっちにしろたいへんです。
たいへんさが違うだけです。

南三陸町に気仙沼以上の教育環境があるから苦労して気仙沼まで通わなくてもいい、そういう方向よりも、やっぱり鉄路で気仙沼へ、でしょうか。


■仙台への足と気仙沼への足は別に考えるべき

気仙沼への足は、主に気仙沼の高校へ通う高校生の利用。
気仙沼から汽車を利用して人が来ることはそれほどないと思います。
こちらは住民の足としての利用がメインということになります。

一方で仙台との行き来は南三陸から行く人も、南三陸へ来る人両方の足となると思います。
どちらかといえば南三陸へ人を呼ぶためのラインを見込んで、という色が強いかと思います。
とはいえ、以前は仙台行き、仙台発はそれなりに利用者がいました。
南三陸町だけでなく気仙沼線沿線全体でいえば、地元の人たちの足として必要だったといえると思います。

最初から南三陸町めがけて来る人のことを考えたら、仙台からくりこま高原駅からのバスがあったほうがずっと便利なはずです。

他の町を経由して南三陸町にも立ち寄ってもらおうとするなら、気仙沼から足を伸ばしてもらうのか登米からから石巻からか仙台からか、そこを想定して力を入れるべきです。


そんなこんなで、やみくもに仙台-南三陸-気仙沼間をつなぐ鉄道を復活させてほしいというのではなく、地元の人たちにはいろんな議論をして現実的な見込みを立てていただき、町外のみなさまにもいろいろな判断材料を得てから賛同なり何なりしていただきたいというお話でした。

鉄道が復旧すれば自動的に他の何もかもがうまくいくわけではありませんから。
何より、鉄道が復旧したところでそんなに便利ではありませんし、町内の移動の問題はクリアになりません。

私は南三陸町に住んでいる人間ではないので、このことに関しても、他のことに関しても賛成とも反対とも言いません。
そもそもいまだに何もかも、「お父さん達が決めること」ですし、お父さん達とボランティアの人たちだけが話し合いに参加するんですし。

最後に、私のひいおじいちゃんは盛岡まで鉄道を作ってほしいとJRにかけあいに行った一人だと聞いています。
歌津駅開通時の8ミリビデオ(!)も見たことがありますから、鉄道ができた時の喜びようがどれだけのものだったか、少しは分かります。

そして気仙沼線での通学、遠方からの帰省でおおいに苦労してきた人間の一人で、(生きていれば)どうなっても10年先も確実に帰省の苦労をするであろう人間です。

参考
JR気仙沼線 鉄路で復旧を - NHK 東北 NEWS WEB
http://www3.nhk.or.jp/tohoku-news/20160228/5524031.html

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