南三陸町と周辺地域への祈り

宮城県南三陸町(旧志津川町と歌津町)歌津の出身です。世界中の皆さんからのご支援に感謝です。本吉町・気仙沼市ゆかりの方、宮城県内・他県の皆さんも一緒に頑張りましょう!

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先日「何度でも負けずに」という文章を書いたところ、さまざまな反応がありました。

被災地の方に頑張りを強要するような文章に思えた方もいらっしゃるかもしれません。


私はもちろん被災地の方は十分に頑張っているだろうと思いますし、離れた場所にいる私たちの心配など鼻で笑われてしまうかというような、驚異的な生命力と行動力を発揮されている方もいます。

もちろん本当に気落ちされている方、心のバランスを失いかけている方もいらっしゃることと思います。

だからこちらでできることをしてあげたい、前向きな気持ちが生まれてくるような方向にどうにかして持っていくことはできないかと、思っています。

被災された方のお尻をたたいて頑張らせようとは思っていません。


先週金曜日に大きな地震があったため、気落ちされている方が多いかと思いあの文章を書きました。

携帯の電波状況も日々変わります。
電気もひょっとしたら一時的に不安定になったりしながら復旧していくのかもしれません。
余震も小さなものならこれからも何度かあるはずです。

それに必要以上に一喜一憂していたら被災地にいる方も、私達も持ちません。


宮城県内の電気の復旧だって、被害がかなり広範囲であることを考えたらむしろ早かったと言ってもいいのではと、私は思っています。
南三陸町の電気の復旧は他の地域より遅くなってしまいましたが(今の時点では復旧見込みがたったところ)、被害状況を考えたらどれだけの努力があったのだろうと。

でも、都内で「遅い、遅いよ」とイラだっていた人がいて、体調を崩してしまいました。

私が先日送った仙台宛の荷物はクロネコヤマトさんが翌日に届けてくれたので、早いなありがたいなと思いました。

その方が本吉町のあたりへ送った荷物は、何日かかったかははっきり聞くことはできなかったのですが、とても遅くていらだちが募る一方だったそうです。
(私は南三陸町~気仙沼へ送る荷物は1週間や10日ぐらいかかると聞いていましたし、そのぐらいかかるのも仕方がない、再開しただけでもありがたいと思っていました。)

そしてTVでお笑い番組をやっているのを見るとものすごく腹が立って仕方がないんだそうです。

私は被災地に縁も縁もない人たちまでノイローゼのようになられては困るので、通常の番組が始まった時にはほっとしました。
TVは「見ない」という選択ができるので、見たい人のためにどんどん賑やかな番組をやっていただきたいくらいです。
世の中全体が沈んでいたら、私のような自営業者は瞬く間に生活が立ちゆかなくなります。

お花見もささやかでも賑やかにやっていただきたいです。
世の中明るくなってほしいですし、もし私の友達がどこかで生死の境をさまよっていたら、賑やかな声に気づいてこちらへ来てくれるかもしれないので。

お花見して東北のお酒でも飲んで楽しんで(もちろん他の地域のお酒も)、しっかり働いて経済回していただきたいですよ。

先日も大半の建物がなぎ倒された南三陸町の志津川の中心部あたりの写真をネットで見て、多くの人は「ひどい」「すごい」とコメントしていたようですが、私は「ガレキがよけれられて道ができている。最近になっての写真だな。もう道ができていて良かった」と思いました。

車で町の中を走って「ここもひどい」とみなさん思われるようですが、私は見覚えのある道を車で走ることができていることに感動します。
何もなくなった写真ばかり見てきたので、倒れかけでも見覚えのある建物が残っている写真を見て「ようやくどこだか分かる写真を見た」と嬉しかったです。

町職員のいとこが安置所の担当だと聞いてかなり気持ちが落ちて食欲もなくしましたが、考えたら町の人達も多かれ少なかれ、見たり触ったりしているはずだし、と翌日気がつきました。

埋葬だって、写真を見て(いくつかのニュースサイトなどで南三陸町や他の市町村の埋葬の様子を伝える写真が公開されています。)「思ったより丁寧に埋葬できているんだ」と心から安心しました。
(私は民俗学などの勉強をしてきたので土葬に偏見がないせいもあると思います。
時代や国が違えば「火葬なんてそんな、恐ろしい」になるんですよ。
海辺の町で育ってますので、こういう時に亡くなられたらどういう状態になるかは、子どもの頃から脅されていることもあって、ある程度の覚悟ができているのかもしれません。)

能天気な訳ではありません。

あんな立派な火葬場があるのにあそこで送ってあげられないなんて、あの火葬場でみんなで集まって見送ってあげられた祖母は幸せだったかもしれない、ああでもそのお墓だってめちゃめちゃにされてしまったとやるせない思いでいっぱいでした。

ネットで何か調べていたら、南三陸町などが土葬を申し出たことに対して好きなことを書いているのを見かけることもあります。
その他不快な文章やコメントも目や耳に入ってきました。
それがどれだけ悔しかったか。

埋葬の様子を撮影した写真を見てとても辛いと感じる人は多いと思いますが、私は「よくあんな大きな被害を受けたところにこんなに立派な棺が」、「仏花もないのではと心配していたらちゃんとある。どこかから届いているのだろう」と、本当に安心したのです。

もちろんすべての方をそのように埋葬できたのかどうかは分かりません。

私の実家はなくなりましたが、家族は無事でした。
家がなくなったことを知って数日たってから、家族の無事が分かりました。

なので家のことにはショックはあまりありません。
(2匹の猫の行方が分からないことのほうが辛いかもしれないです。)

このブログにもいろんなコメントやメールが寄せられますが、被災地の心配やSNS(mixiやtwitter)に対する不満などのストレスを私にぶつけてくる方がいても、それはそれでこのブログの存在意義があるのだと思います。

ポジティブなのではなく、私はものすごく図太いんだと思います。

そうでなければこうしてブログをやっていないと思いますし、いろいろなニュース記事などを読んだり、たくさんの方とメールのやりとりをしたり、コメントを読んだりできません。

周りの人が誰も連絡がついていないAさんへ電話をかける、それだけで十分怖いです。
それを何人も何人もやっていたら図太くもなります。
(まいってしまう人もいるんでしょうか?)

もちろんその図太さを人に求める気はさらさらありません。

でも今後余震や停電、電波状況の不安定などに一喜一憂しすぎるのは、デリケートな方ほどつらいはずです。

いますぐ自分の力で立てとはいいませんが、どれだけたくさんの方が手を差し伸べても、被災地の方に頑張っていただかないと復興が難しいことは、寸分の疑いもない事実だと思います。

がんばれとは言わないけれど、頑張ってもらわないといけない。
今とはいわないけれど、いずれは前向きに頑張ってほしい。


南三陸町にいる同級生に「行くよ」とメールをしたら、「来たらびっくりするよ」と返信が来ました。

「私にとっては町がどうなったかよりも、みんなが無事だったことのほうが大事」と返信しました。
(無事でなかった人もいるのにこういうことを書いていいのか悩みましたが、書いちゃいます。
もちろん私もすべての同級生や友人知人の安否が分かっているわけではありません。)

私のひいおじいちゃん達が盛岡まで陳情に行ってできたと聞いている歌津駅があんなふうになってしまったのは悔しくもありますが、町よりも駅よりもまずは生きている人たちのことを考えたい。

町の復興を願うのも今南三陸町や一時避難先で生きている人のため。

犠牲になられた方々のためでもありますが、その方々のためにもまずは今被災地でいろんな思いを抱えている人に少しでも元気になってほしい。

こちらでまいってしまっている人も気にかけてあげたいけれど、向こうにいる人も気にかけてあげたい。

だからできたら被災地以外にいる人達には、可能な限り元気でいてほしいんです。

被災地と全然連絡が取れなかった頃に比べたら、今の状態でもものすごく恵まれていると思えませんか。

声を聞いて、メールのやりとりをして安心できるなら、きっと向こうの方も同じです。

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