南三陸町と周辺地域への祈り

宮城県南三陸町(旧志津川町と歌津町)歌津の出身です。世界中の皆さんからのご支援に感謝です。本吉町・気仙沼市ゆかりの方、宮城県内・他県の皆さんも一緒に頑張りましょう!

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ニュースでよく映った南三陸町・志津川の町中へ入るところ~入ってからの写真です。

この辺りの写真がなぜかくもっていて、色もなんとなく違います。

濃霧の記憶がないので、砂ぼこりでしょうか。


「続き」に写真がたくさんあります。

被害地域の写真を見るのがつらい方はここでストップしてください。


p8

ホテル観洋。

p10

外壁にいろんなものがくっついてる建物が多いんですが、片付けたんでしょうか?
きれいな外観でした。
(観洋には友達が勤めていたかもしれないのですが、まだ誰にも聞いていません。聞くゆとりなしです。)

民家のあるあたりは浴槽やふとんなどが散乱して生活の跡が感じられて辛いです。
漁業の町らしく、海にあったもの、漁業の家にあるさまざまな道具類が木に引っかかっていたりします。

p11

南三陸町でもめずらしい茅葺屋根の家が、せっかく残っていたのに・・・

p12

サンポートと公立病院、高野会館が見えてきました。

何度も報道された、南三陸町の建物がポツンと3つだけ残っているところです。

p13

そのサンポートや公立病院の写真は撮っていません。

サンポートにはいろんなものがたくさん絡み付いて、まるで映画のセットやどこかのテーマパークにこんなのがありそう・・・・という、すごい状態でした。

「ありそう」と言っても、あんなの見たことありません。

そっちに気をとられて向かい側の公立病院が視界に入っていなかったのですが、診療再開してるってことは、片付けができたのか?と不思議なくらいです。

p14

このあとの写真がブレブレなのは、動揺はしていなかったものの、やっぱり集中力が欠落していたからだと思います。

それと、運転していた同級生が写真を撮っている私に怒っていたから。

「まだ死体があるかもしれないのに、よく撮るな!」と。

被災地にいる親類や友達に「こっちの様子を伝えて」と言われたので「撮らなければ」と思っていたのですが、同級生の怒りも最もなので撮影を止めました。
でもカメラを構えずに(レンズ越しではなく液晶ごしに)普通に見ると、一気に現実が迫ってきます。

迫ってきているのに思考や感情が止まっているというか、動揺はしていないのですが・・・・なんとも言えない気持ちに襲われます。


p15

p16


p17


そんなわけで、ニュースで有名になった防災庁舎を撮ろうと思いましたがこの有様です。

防災無線で女性が最後まで避難を呼びかけ、町長さんが屋上のアンテナにすがって何度もやって来る津波に耐えたという、全国的にも有名なあの建物です。

私の兄も出張がなければここにいたはずです。

同級生も当日このすぐそばの役場にいたそうで、いまだに行方が分かりません。

p18


不思議なことに、この写真だけサイズ変更ミスでデカイんです。

しかもなぜかカーソルが移動していたらしく、このページのいちばん最初の写真として鎮座していました。

撮影順に載せたかったので(地元の人でさえ順を追って並べないと、どこだか分からないので)最後に移動しましたが、この写真が何か訴えたがっているのだと思って、サイズは大きいままにしました。

(震災直後に南三陸町へ行った友達も、避難所で行方不明者リストと死亡者リストを撮影してきたのに、なぜか死亡者リストのほうは保存されていなかったそうです。
そうしたことにも、何か意味があるような気がしてなりません。)

防災庁舎を震災の被害の象徴として残そうという声もあるようですが、個人的には反対です。

この建物があったら、みんな家族や友達を亡くした辛さを忘れることができません。

ここに慰霊塔を建ててくれれば、十分です。

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