南三陸町と周辺地域への祈り

宮城県南三陸町(旧志津川町と歌津町)歌津の出身です。世界中の皆さんからのご支援に感謝です。本吉町・気仙沼市ゆかりの方、宮城県内・他県の皆さんも一緒に頑張りましょう!

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop
南三陸町町長・佐藤仁さんが続けてきた毎日の記者会見。

「ずっと休んでいない」と聞いていましたが、この記事を見る限り震災後4月30日までは確実に休んでいないことになりますね。

お疲れさまです。

南三陸・佐藤町長の毎日会見終了 積極発信 支援呼ぶ (河北新報 5月1日)

南三陸町ホームページにある「東北地方太平洋沖地震に係るプレス発表資料(5/2)」には、南三陸町の義援金口座に集まった義援金は「4月30日現在で、4億1,693万4,775円」とあります。

この会見のおかげでたくさんの支援をいただくことができただけでなく、私たちも南三陸町の状況を知ることができました。

先日佐藤町長の写真を見たら、だいぶ痩せられていて驚きました。

私の知っている町長さんじゃないみたいで・・・・


枝野さんが「総理大臣が顔を見せないのはなぜか」と記者から質問されていました。

世界中から睡眠時間を心配されていた枝野さんだって、さすがにもう休みを取っています。

さらに言えばどこかのIという首長は被災地を心配している人を傷つけるようなバカな発言をしました。

そしてそれについて記者に詰め寄られると、話をすりかえてごまかしたりと謝罪も訂正も補足もありませんでした。
(他人事だからできる発言です。もし消防庁の人達が福島から無事に戻ることができなかったら、同じ発言ができたんでしょうか。)


でも、責められるのは被災地の行政。

震災後50日以上休みなく会見をして窮状を訴えてきた南三陸町の町長と、職員の方々。

国が決めてくれないと地方の自治体ではできないことまで、無知な人達に責められて足を引っ張られています。


おかしいと思いませんか?
せめて総理や枝野氏の会見の日付と回数を調べてからおっしゃいな。

私も友人知人が振り込んでくれた義援金の予算の振り分けを早く進めて、漁業の復興などを少しでも早くと思ってはいますが、過酷な状況で働いている方々を責める資格は私などにはありません。

責めるよりしかるべき方法で要望を出したり、自分が手助けできることを考えたほうが建設的です。




■南三陸・佐藤町長の毎日会見終了 積極発信 支援呼ぶ (河北新報 5月1日)

 東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町の佐藤仁町長が、3月13日から続けてきた毎日の記者会見を4月30日で終了させた。町長自らが連日、情報を発信することで町の窮状を伝え、全国からの支援に結び付けた。「提供するニュースが少なくなった」として、5月からは隔日の週3回にするという。
 佐藤町長は毎日午後3時から、避難所になっている町総合体育館の一角で会見を開いた。
 「公立志津川病院が外来診療を再開しました」「明日は仮設住宅の抽選会があります」
 取り囲む記者に、町のその日の動きと数日先の予定を説明。情報は被災地の動きとして、全国に伝わった。被災状況の確認や復旧活動の指示など多忙を極める中、当初は1日に2回開いた。
 佐藤町長は数年前、新潟県中越地震を経験した首長の講演会に参加した。講演は、外部の支援を取り付けるため窮状を積極的に発信する大切さを訴える内容で、「ずっと心に残っていた」(佐藤町長)と言う。
 町に寄せられた義援金は4月25日現在で2億3977万円に上った。天皇、皇后両陛下もお見舞いに訪れた。
 佐藤町長は「最初は町民に情報を伝達する手段がなく、マスコミを通じて伝えようとの考えもあった。情報を包み隠さず発信することで、町への注目度が上がり、物資やボランティアなど、大きな支援につながった」と話している。
(大泉大介、渡辺龍)

スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

友人の父が副町長です。
この間半日の休みがやっと取れたそうです。
友人は震災後何度も帰っていますが、忙しくしている父親とは話をすることも出来ないことがほとんどでした。
いろいろな立場・考えの方がいるのは知っていますが、一部の意見だけを聞いて行政を批判していることに悲しみすら感じます。
もちろん今までの教訓は大事ですが、南三陸町に合った形にどうカスタマイズしていくか、批判ではなくアドバイスが欲しいなと思います。

千葉 | URL | 2011-05-07(Sat)10:17 [編集]


おっしゃる通り!

>批判ではなくアドバイスが欲しいなと思います。

おっしゃる通りで、この一言につきますね。

目的が違うのかもしれません。

私も兄が職員ですが行っても会えず、何度も行ってくれている親類もずっと同じ町の中にいる家族ももちろん会えずです。

電話は最近ようやく出るだけのゆとりができたらしく、今まで着るものがあるのか食べているのか義姉に会えているか聞く事すらできませんでした。


n_c | URL | 2011-05-07(Sat)13:43 [編集]


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。