南三陸町と周辺地域への祈り

宮城県南三陸町(旧志津川町と歌津町)歌津の出身です。世界中の皆さんからのご支援に感謝です。本吉町・気仙沼市ゆかりの方、宮城県内・他県の皆さんも一緒に頑張りましょう!

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新聞報道等でご存知の方も多いことと思いますが、南三陸町歌津へボランティアとして入り、「てんぐのヤマ学校」を主宰されていた八幡明彦さんが事故で亡くなられました。

南三陸町内で開かれた「スパイダーを偲ぶ会」にはたくさんの方々が集まり、子ども達が野の草花を捧げたそうです。

私は東京の葬送式へ参列してきました。

町内の人達から「スパイダー」と呼ばれ慕われていた八幡さん。
両親や私は「蜘蛛さん」と呼んでおりましたので、この投稿でも「蜘蛛さん」とお呼びしたいと思います。

RQというボランティア団体で歌津に来られた蜘蛛さんは、キリスト教徒でピーターという名前がありながら「仙人」を自称する不思議な人。
作務衣を着て頭には手ぬぐい、足元も足袋や地下足袋といういでたち。

なにやら蜘蛛の研究者だそうで、さえずりの谷に「蜘蛛神社」まで建立されていました。
(竹で鳥居を作り、注連が張ってありました。真言宗のお坊さんが来られた時に法螺を吹いて真言を唱えてもらい、魂を入れてもらったそうです。
ご本尊は麻利支天だとか。神社ですが・・・)


灯油を使って暖を取ることは自然との共生を目指す蜘蛛さんの主義に反するらしいのですが、東北の冬に負けて風邪を引いてしまい、みんなに「仙人なのに(笑)」とツッコまれたり。

ところが単に理想を掲げるだけの方ではなく、自然に関する知識が豊富で、子どもたちに動植物の生態や火のおこし方などを教えたり、ご自身の生活も地元で採れるものを保存食にしたりと、実践力もある方でした。

何よりお祭りの日に子ども神輿を担ぐ子ども達をほぼ一人で見事に引率されていたのを見た時、すごい人だなぁと関心させられたのでした。
そのお神輿も子どもたちと蜘蛛さんが作って飾りつけをしたものだそうです。

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仮設商店街にある実家のお店を手伝っていた時に、伊里前小学校の先生と生徒と蜘蛛さんが、伊里前川での野外授業から戻るところに遭遇したこともありました。
取れた魚を見せてくれた子どもたちは、本当にいきいきとしていたのを思い出します。

そしてこの写真は「しろうおまつり」の時に蜘蛛さんがしろうおの説明コーナーをされていた時のもの。
分かりやすく、「おらほの川の~」という表現もかわいいですね。

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南三陸町の人達は実体験で自然や生き物の仕組みを知ってはいますが、蜘蛛さんのように学術的な知識を持って子どもに噛み砕いて教えられる、教えるためのプログラムを考えられる人はいませんし、それを実践する機会もなかなかありません。
私の子どもの頃にもてんぐのヤマ学校があったら良かったなぁ、ヤマ学校の生徒たちの成長が楽しみだなぁと思っていました。

そして田束山(たつがねさん)で新種のクモを発見されたことが報道され、歌津の人達も「本当にクモの研究者だったんだ」と思ったことでしょう(笑)。
(発見されたクモは蜘蛛さんが「ウタツホラヒメグモ」と命名されました。)

そんなふうにすっかり地域になじみ、慕われ、長く空き家になっていた古い民家での生活も、お風呂を作ったり天井裏のねずみ対策に青大将を放つなど、蜘蛛さんの理想とする形が整いつつあるのだろうなと思っておりました。

旧友の方々も歌津を訪れてヤマ学校を見てみよう、他地域の子どもたちの体験プログラムをお願いしようという計画もあがっていたところだったそうです。

私も4月末に南三陸町でお会いしたのが最後になりました。
(思えば葬送式の日のように雨が数日続いた時でした。)

亡くなられてから葬送式までの数日間で、初めて蜘蛛さんの経歴や、若い頃のアツい、とんがっていた蜘蛛さん、想像通りにお茶目で家族思いだった蜘蛛さんのエピソードをたくさんうかがうことになりました。

子どもの相手が上手だった理由も、以前に大変なご苦労をされていたことも初めて知ったしだいです。

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東京での葬送式にも南三陸町の仲間、RQで一緒に活動した仲間も遠くから駆けつけていました。

献花者の名前には蜘蛛の研究関係はもちろん、いとうせいこうさんや南三陸町の伊里前小学校からも「弟子一同」として。
キリスト教の団体で精力的に活動されていたことなどから、死を悼むメッセージは海外からもたくさん届いているということでした。

式では蜘蛛さんの愛唱歌であった聖歌が歌われ、読み上げられる聖書のみ言葉は、私の頭の中では蜘蛛さんの声で同時再生されました。

ご友人の平田牧師の説教からは若き日からのさまざまな活動や人柄が語られ、読み上げられた弔電でも免税店で買って来たスコッチを「帝国主義の味がする」と言って飲んだエピソードが紹介されるなどして、度々笑いも起こりました。

2人のお嬢さんの指揮と伴奏で「旅立ちの日に」(Youtube)が歌われた後、お嬢さん達から感謝の言葉。
川で一緒に遊んだこと、友達の間でも人気者だったらしく、いつも「お父さんどうしてる?」と聞かれること。
「無人島に一つだけ持っていくなら迷わずお父さん」と言う言葉が印象的で、お二人とも本当にお父さんが大好きだったことが伝わるものでした。

式の最中に上映された歌津でのヤマ学校のスライド、入り口に展示された歌津での写真やヤマ学校の看板、スパイダーマンの衣装、スパイダーさんが載った新聞なども、みなさん興味深そうに見入っておられました。


私が思っていたよりずっと大きい方で、たくさんの方に慕われていた蜘蛛さん。

突然のことでしたが、南三陸町でのしのぶ会で、仲間だった方が「今頃、最後に、子どもたちに、人はいつかは死ぬんだってことを、身をもって教えたんだよ、みたいな理屈をこねてんじゃないのか」とおっしゃったそうです。

そして南三陸町へもかけつけてくださったり、東京での葬儀に参列された旧友のみなさんも、何もかも「八幡らしい」と感じられるようでした。
たくさんの方に慕われて見送られることも、「最後まで派手でキザなヤツ」だと。

ある方は
「すごくできるヤツなのにどこか抜け落ちて・・・」
「軌道に乗ってこれからなのにというところがなんとも彼らしい・・・」
と笑って話してくださいました。
「南三陸町でも盛大に見送っていただいた」
とも。

何よりみなさん南三陸町での活動がとても彼らしいとおっしゃって、いきいきと活動されていたことを喜んでくださっているようでした。

確かに、充実した活動ができている時にたくさんの方に「もっと教えてほしかった」「話したかった」と思わせながら旅立つのは蜘蛛さんらしいような気もします。


私は飄々としていつも楽しそうな、穏やかで紳士的な教養ある蜘蛛さん、てんぐのヤマ学校の校長先生である蜘蛛さんしか知りませんが、一緒に活動をされてきた方々やヤマ学校の弟子達など、私よりもずっと蜘蛛さんをよく知る方々がたくさんいます。

その方々を差し置いて蜘蛛さんのことを書かせていただくのは気がひけたのですが、蜘蛛さんの旧友の方々がただ悲しむばかりでなく、歌津での活躍を本当に喜んでくださっていたこと。

そして蜘蛛さんのお嬢さんに「また南三陸へいらしてください」とお声をかけたら明るく「はい!」と言っていただいたことをお伝えしたいと思います。



仙人らしく宗教・宗派のくくりなど飛び越えて、これからも歌津やみなさんの心の中にいてくれそうな蜘蛛さんなので、さよならは言いません。

「八幡明彦記念基金」
蜘蛛さんのご家族の方々が「八幡明彦記念基金」を設立されました。
南三陸町でともに活動されていた方々の今後の活動支援とさせていただくきたいとのことでした。
基金を通して、ご家族ご友人の皆さんと南三陸町とのつながりが続いていけば幸いに思います。

☆RQさんのブログにニュースや聞き書きなど、蜘蛛さんに関するリンクがあります↓
RQメルマ【スパイダー、歌津で急逝】087号 2014-06-02


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