南三陸町と周辺地域への祈り

宮城県南三陸町(旧志津川町と歌津町)歌津の出身です。世界中の皆さんからのご支援に感謝です。本吉町・気仙沼市ゆかりの方、宮城県内・他県の皆さんも一緒に頑張りましょう!

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop


「増補版 僕はしゃべるためにここ(被災地)へ来た」
笠井信輔/著 (新潮文庫)


「とくダネ!」でおなじみのフジテレビアナウンサー、笠井信輔氏の著書です。
当初産経新聞出版からハードカバーで発売されましたが、2016年になって新潮文庫から増補版が発売になりました。

東日本大震災発生後、都内の大渋滞を経て仙台を目指した笠井アナウンサー。
当日から炊き出しの煙があがっていた神戸の震災後に比べ、最初に到着した東北の災害現場はあまりにも静かだったそうです。

生きるために壊れたコンビニから物を盗む人を見て、どうにもできなかったこと。
カメラを向けることも憚られるが、現地の人には「テレビ局の人間が犯罪を見逃すのか」と責められる。

取材した人が「水がないんです」と語るが、車に自分たちが飲むだけの水は積んである。
水をあげたいが、その場にはたくさんの人がいる。その人だけに水をあげるわけにはいかない。
ある時は自分の無事を親類に知らせてほしいと頼まれる。
この人の頼みだけを引き受けていいのか・・・?

取材に行く自分たちは現地で買い物をしてはいけない、避難所でトイレを借りるわけにはいかない、被災した人達の前で食事をしてはいけない。
避難所で明るくポップコーンを作って過ごす人達から「食べてみて」とすすめられるが、もらってはいけない立場。
誰かにだけ特別に食料を分けたりすることも無責任なことだと分かっている一方で、報道よりも物資を配るべきではないかとも思う。
ガソリンがなく、誰かを探し歩いて疲れ果てた人たちを見かけるけれど、一部の人にだけ便宜をはかってはいけない。
ましてや取材協力と引き換えにしてはいけない。
やりきれなくて宿でビールを飲んでしまったり、着替えを借りて体を休めることにも罪悪感を持ってしまう。

真に迫る映像や証言を取りたいけれど、これを報道して良いのか。
モザイクをかけなくて良いのか。実名で良いのか。
こんなつらいことを聞いてしまって良いのか。聞かなければならないのか。
そして東京にいる人達と現地で取材にあたる人達との間にできていく温度差。

笠井さんに限らず、震災の取材にあたった方々は報道の人間としての責務や欲目が当然ある一方、そのつらさや葛藤も大きかったことと思います。
(私も震災後に故郷の南三陸町でたくさんの報道の方を見かけ、出身者でありボランティアとして取材を受けたりもしましたが、みなさんそのような葛藤はもらさず、礼儀正しく接してくださいました。)

東日本大震災の取材の様子が主ですが、神戸の震災の時も取材されているため、当時の様子も書かれています。
神戸での取材の反省や葛藤、東北の人と関西の人との気質の違い、フジテレビの災害取材のあり方が定まっていく様子なども書かれていました(ヘルメットの着用義務、情報番組と報道番組の垣根を越えた映像の共有など)。

印象的なエピソードがいくつかあります。

一番最初に取材をした避難所の方がどうしても伝えたいことが、「こういうことに困っているから助けてほしい」ではなく、「とにかくすぐに逃げること」だったという話。

お母さんかもしれない遺体が見つかって収容されるのを待つ小さな娘さんの言葉。

子どもたちをかかえてようやく水に浮いているところを、しがみついてくるおばあさんを蹴って生き残ったのだと告白する女性。
「助かった子どもたちの未来を考えましょう」と励まされるものの、やはりそうカンタンに心を切り替えられるものではないでしょう。
(気楽に傾聴ボランティアに行きたい、話を聞きたい気持ちを知りたいと思われている方は、こういう経験をした方に接する覚悟と勉強をよくよくした上で行っていただきたい。)

東北に来られて「被災地で元気をもらった」と言う方も多いのですが、被災したとは思えないほど明るい母娘が、実は心の中ではずっと必死でに闘っていたというのは、実にリアルな話だと思います。

報道に関することでも、話のプロならではのエピソードが盛り込まれています。
ベテランならではの切り替えや対応の早さ。テレビの人間なので映像ありきの話に慣れていて、映像なしで情景を伝えることの難しさに突き当たる様子、携帯電話も通じない被災地での苦労やトラブルなども書かれています。

冷静に、淡々としすぎていても違和感があり、感情がこみあげてくれば視聴者の反応は賛否両論。

神戸の震災の時にサインを求められて応じたところ、会社から「タレントじゃないんだ」と怒られたので、東北ではカメラが回っていないところで応じたそうです。
ところが、軽部真一アナウンサーが岩手に行って歓迎される様子は慰問にもなり得ていて、あたたかいものだったというエピソードはほほえましく、その光景が目に浮かぶようです。

実は2013年1月に開催された都立高校PTAの「復興支援シンポジウム」で、笠井アナウンサーが講演をされたのを聞く機会に恵まれました。
書籍に書かれているエピソードを中心に、報道の人間としての葛藤の他、余震の続く東京に奥さんと子どもさんを残して被災地へ取材に行く笠井さんの思いと、ご家族の不安も語ってくださいました。
いつか子どもさんにこの本を手にとってほしいという思いも込めて書かれたそうです。

恥ずかしながら講演後のパネルディスカッションに私もパネリストとして参加させていただき、笠井さんや都立高校PTAの方々とお話しさせていただきました。

司会の方の親類が南三陸町歌津の商店だということが分かったり、神戸のご出身でご家族が焼肉屋さんをなさっている方から、地震当日に冷蔵庫から食材を出し、炭を焚いて炊き出しをしたというお話もうかがいました。
災害時に家屋が水に塗れてしまうのとそうでないのとではすごく違うのだなと思いました。

そのお話と、神戸には数時間後に入ることができたと笠井さんがお話しされていたため、当日の神戸はそんなにスピーディだったのかと思っていたのですが、この本を読んだら北海道の災害なども取材をされてきた笠井さんの機転があってこその早い現地入りだったことが分かりました。

また、生きるために壊れた店舗から食料を盗む人達の様子(申し訳なさそうにしている人、ニコニコしている人)を目にしていた笠井さんに、当時岩手のスーパーに勤務していた親類の話をしました。
盗まれてしまうので危険だから、それよりはと配っていたと。
もちろんそうした事例がすべてではなく、笠井さんが見られた現場とは違うかもしれませんが、その時に晴れやかに微笑まれたのが印象に残っています。


スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。