南三陸町と周辺地域への祈り

宮城県南三陸町(旧志津川町と歌津町)歌津の出身です。世界中の皆さんからのご支援に感謝です。本吉町・気仙沼市ゆかりの方、宮城県内・他県の皆さんも一緒に頑張りましょう!

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被災地の方、被災地出身の方には受け止めにくい内容が含まれているかもしれません。
ご覧になりたい方だけ、続きを表示してご覧ください。
(反論する元気のある方にしか、おすすめしません。)


被災地以外の地域の方に知っていただき、誤解を解きたいと思っておりますので、あえて載せます。

なぜ津波被害の予想される三陸海岸に住むのだろう?と疑問に思われている方はぜひご覧ください。

通信と電力が復旧して被災地からもこのブログをご覧になられている方がいることと、被災地の家族を心配されている方にご覧いただいているため、あえてこの記事は下にもぐるように設定してあります。

もしコメントをくださる場合は非公開コメント(鍵コメント)にていただくよう、ご配慮をお願いいたします。
(公開コメントで被災者の方などの目に触れさせたくないと判断したものはたいへん恐縮ですが削除させていただく予定です。)



今回の震災で、「今度は高い防波堤を作るんだね」「住むのに向かない土地なんだ」「きっとみんな移住するんだろうな」「過去にも大きな津波があって、30年以内にまた来ると分かっているのに、なんでそこに住んでたんだろう?」と思われた方も多いでしょう。

三陸海岸の人は、過去にも大きな津波を何度か経験しています。

私の先祖が明治時代に海のすぐそばから少しながらも離れた商店街へ移住したのも、そのためだったのかもしれません。

昔の津波の後に立てられた石碑より低いところに住むことについて、「先人の教えを無視している」「まさか自分が生きている間に大津波が来ると思っていない」などといった誤解が生じているようなので、この記事を書いています。

私の郷里・南三陸町のように三世代、四世代が同居しているような町では、津波の経験者と、経験者にさんざん津波の話を聞いて育った人に、同じように津波の話を聞かされて育ちます。

学校での避難訓練は火災時のものと、地震の後に津波、という設定のものがあります。

地震の後は、1家に1台ある無線の町内放送を聞きます。
すぐにTVをつけて津波が来るかどうか確認します。

津波の時はこうなる、こうするといいという間違った言い伝えがあったため、過去の大津波の時にこうした人は被害に遭った、こうしちゃいけないということも、家でも学校でも教えられます。
他の町から来た先生でさえそういう話をしてくれます。

地震が大きいかそれほどでもないかと、津波の大きさは関係ないということも知っています。

地震のあと、津波が到達するまでに約30分といわれていますが、そのことも、もっと早く波が押し寄せる可能性があることも知っています。

引き潮になっているのをもし見ていたら、漁師さんはみんな大きな津波が来ると分かったはずです。
漁師さんでなくても引き潮は注意、と知っている人はたくさんいます。

地震からただならぬことを感じたか、海の様子を見てすぐに逃げた人もいるのか、なにより南三陸町では大きな津波が来ると予測する情報が入った町職員の方が、防災無線(町内放送)で波にさらわれる直前まで避難を呼びかけてくれたから、助かった人もたくさんいるのです(参考:東日本大震災:命かけ防災無線「早く逃げて」 宮城・南三陸、不明の町職員・遠藤さん)。
(南三陸町は1000人の遺体が見つかっているそうですが、それは南三陸町の人だとは限りません。
他の町から流されてきた人もいる可能性がある。だから身元確認がたいへんなんです。
※これは南三陸町の現時点での生存者・被害者数では語れないという意味です※
正確なデータは各市町村まだ出ていませんが、少なくとも私の知る限り南三陸町には思っていた以上に生存者がいます。
海の目の前に家がある人も助かっています。)

子ども会の旅行では津波体験館でトラウマを植えつけられました。

明治の頃の津波の話で恐ろしいイラストが出てきて、イスが揺れるんですよ・・・
でも3/11の津波の映像を見たら、波の勢いも何もかも、あんなものじゃないとすぐに分かりました。

私がその体験館で見たイラストは、波間から顔を出しておぼれている人たち、というものでした。
でもそんななまぬるいものではなく、一気に飲まれて流されて、という恐ろしい勢いです。
そしてそれが何度もくり返されたんです。

町の中には過去の大津波でここまで波が来た、という表示がところどころに建っています。

見上げるような、背伸びをしても肩車をしても届かないようなところに印がついています。

それを見ただけでも恐ろしく、想像もできなかったのに、その後に作られた水門や防波堤でこれまでの大小の津波を食い止めてきたのに、それすら歯が建たず、過去の大津波でも来なかったところまで波が押し寄せました。

学校が高台にあるのも、過去の大津波のときもそこまで波が来なかったからです。
その学校が流されたり、1階まで浸水したりしているんです。

それどころか、山を越えた向こうまで、内陸の海に面していない町まで被害に遭っています。

ほとんどの被災地で、「ここまで波が来た」なんて表示されている高さで安心していたら、確実に今この世にいない、それほどの大津波なんです。

今回は日本一の防波堤のある旧田老町(岩手県宮古市田老地区)でさえ被害を受けています。

私の郷里のほうでは山の木が残っていて、その山を越えた地区まで波が来て家も橋も倒されている。
「山の向こうが海」という写真を見て、震えました。

山よりずっと高い、海など見えないほどの高さに防波堤を作らない限り、今回の津波被害は避けられなかったんです。


単純に考えて、防波堤がない時代の大津波と同じ規模か、それをある程度まで上回る津波でも大丈夫なはずです。

今はそれなりの予測機器があるはずで、無線放送もある。
病院や役所関係の施設など、鉄筋の3階建て以上の建物もわずかながらある。

過去の教訓も伝わっている。

子供の頃から身をもって、避難が必要なレベルかどうかの経験を感覚的に積んでいる。

数十年に1回は大きな津波が来ると分かっている。

災害時に避難勧告や誘導にあたる職員も、災害時にどう行動するか、役割分担も決まっていたはずです。


それなのに今回は、今まで聞かされてきた・想定されていたどんな津波よりもすごい勢いだったのです。

過去の大津波の経験者も、毎日海に出ている漁師さんたちも、専門家も、予想しえない規模なんです。

今回はみんな地震が起きた時点で「何十年に1回はくるであろう、宮城県沖地震が来た」と察したそうです。

(それにも関わらず波の高さの予報がそれほどでもなかったので、ゆっくり逃げればいいと思っていたという話も、私の郷里・南三陸町ではないかもしれませんが、そんな報道もありました。
到達まで30分と思っていたらそれよりも早かったという地域もあります。
南三陸町の旧志津川町へ津波が押し寄せる動画を見る限りでは、このあたりの津波の到達は地震の30分後のようです。)

それでも助かった人たちの中にはしっかり通帳を持って避難した人もいれば、内陸部から嫁いで来た奥さんに逃げ方を教えていて無事だった人もいます。
ニュースでも流れた津波の様子を見て、そこに映ってはいませんがもっと海に近く、どう考えても早い段階で波に飲まれているはずの家の人も、助かっています。
(正直私もこれにはびっくりしました。)

南三陸町では当初「避難所に7500人ほど、1万人が不明」と報道されましたが、町の半分の映像がほとんど映らないことから、まだそこまで移動して確認できないことが想像できましたし、高台の学校ではなく山のほうにある住宅地の親戚宅へ逃げる人も多いので、この数字は全くアテにならないと思っていました。
そして思ったとおりでした。

この時期のあの時間、南三陸町の漁業の人の多くは朝養殖のワカメを採ってきて、家で作業をしている人が多いのだそうです。
(ひょっとしたら朝の時点で海にいつもと違う予兆があり、それを感じていたかもしれません。)
海で作業している人が多い時間でないことも幸いして、実際には被害状況からは考えられないぐらいの生存者がいました。

それほど防災意識は高いのに、それでも被害に遭った方がたくさんいる。


間違っても、この下に貼り付けた動画↓で語られているように、石碑に刻まれた教訓を無視して、津波は来ないとタカをくくっていただわけではありません。
いつか来ると思っています。
田舎の人なので先人の知恵は常に生かしています。
津波に関しては誤った認識が広まっていたために先人たちも被害にあったと、情報を精査しています。
そして田んぼも商店もあります。





畑村洋太郎『だから失敗は起こる』第4回
知るを楽しむ「この人この世界。」(2006年放送)
"高き住居は児孫に和楽
想え惨禍の大津波
此処より下に家を建てるな"


これからは高台に鉄筋の集合住宅を建てるようになっていくでしょうし(私だってそうしてほしい)、住宅支援の関係で移住する人もいますが、逆に郷里を離れていた人も復興のために力になりたい、家族一緒にいたいと向こうへ移住する人もいるでしょう。


世界中からこれだけの支援を受けているのに、まだそこへ住み続けるのか?と思われる方もいるでしょう。

でも、日本以外の方からしたら、地震も火山の噴火も津波もある日本に、どうして住んでいるの?と思われると思います。
そう聞かれたら、どう答えますか?

アメリカの人に、一般市民が銃を持つことができる国に、どうして住んでいるんですか?と聞きますか?

東京だって関東大震災が来る可能性があるのに、なぜたくさんの方が東京に住んでいるんでしょう?

神戸の人は、なぜ神戸の町に残って復興したのでしょう?
(もちろん住宅や家族の被災などの事情で移り住んだ人もいます。)

岩手・宮城・福島の沿岸部のふるさとを出て、他の都府県に移り住んで、そこで地震や台風の被害に遭う可能性だってあります。


この世に地震も津波も台風も噴火も戦争も暴動も原発事故による放射能の心配もない、そんなところはありません。

少なくとも日ごろ「田舎からたくさん人が出てくるから東京に人があふれる」と言っている人は、「他のところに住め」とはいえないはずです。

ものすごく乱暴な例えですが、昔は結核でたくさんの方が亡くなりましたが、今は治る可能性の高い病気です。
シンプルに考えて、昔の家屋とは強度も違うので、同じ規模の津波でも同じ被害にはならないはず。
堤防も水門もない時代の石碑を目安にするのは、まずおかしい。

地震や津波の知識のある専門的も、誰も予想していなかった規模の津波が起きた時に、昔の津波を目安にして物を言っても仕方がない。

動画にあるのは岩手県宮古市のようですが、この石碑が今回残っているのかどうか、今のところ私は分かりません。

少なくとも私の郷里の南三陸町では、過去の大津波の到達点をはるかに越えています。

今回は本当に、たとえば昔の大津波で渋谷の西武あたりも膝まで水につかったけど、今回はNHKのあたりまで、新宿の駅が海岸線として、歌舞伎町あたりまでの鉄筋3.4階建ても鉄骨だけになっているとか、築地どころか銀座も新富町も壊滅とか、そういうレベルです。
(地域によって海岸から何キロ、という被害状況は異なりますので、ものすごく乱暴なたとえですが、実感していただきやすいように表現してみました。)


誰も予想しえない規模の津波が起きた時を想定すれば、強固で高い防波堤よりも高台に家を建てるほうが良いという教訓を得たのは事実です。
そうした石碑よりはるかに高いところにある家屋が残っているのも事実です。


でも、防波堤がなければこれまでのもっと規模の小さい津波で大被害を受けたはずです。
今回の被害ももっともっと、もっともっと大きかったはずです。

私も生きて今この記事を書いていません。
郷里にいた頃にも何度もあった津波で死んでいます。

過去の津波の到達点を示した石碑やポールがたくさん流されたのもまた事実です。

しかしこうした過去の大津波の到達点を目安にすることには、今回に限らず意味のないことです。

今回破壊された防波堤のおかげで数十年間大きな被害を受けずに済み、今私が生きているのも事実であり、過去に多くの死者が出た津波とのサイクルを考えれば、日本の他の地域、関東大震災や静岡のほうの津波、関西方面での震災の可能性とあまり変わりはないはずです。
(電卓はたたいていません。)



最後に、三陸海岸の豊かな漁場で生業を立てている人がいるから、お鮨屋さんでおいしい魚が食べられます。

そこに住む人がいなくなったら、アワビもホタテもウニも高騰します。

(*追記* 今自宅にワカメやワカメを使った食品があったら、復興までは貴重なものになります。大事に食べてください。)

築地の賑わいの何割かも、三陸海岸の漁師さんが支えていたのです。

そのことだけは、気づいてください。


参考
【現場から】「高所移転」集落救う 岩手・大船渡(@S・静岡新聞)

東日本大震災 防潮堤「油断あった」 宮古市田老 岩手(2011.3.17 02:16 産経ニュース)


東日本大震災:チリ津波も被災 「みんな一緒じゃないと」(毎日新聞 2011年3月22日)
※チリ地震津波の経験を生かして建てられた避難所から、さらに上へ逃れた方の取材記事です。

東日本大震災:命かけ防災無線「早く逃げて」 宮城・南三陸、不明の町職員・遠藤さん
(毎日新聞 2011年3月14日 東京朝刊)

未希さんだけでなく、たくさんの職員の方が避難の呼びかけ、今後の対策にあたるために防災庁舎に集まっていました。
未希さんのご両親は南三陸町へ取材に来たNHKの方に映像を見せてもらい、娘さんの声を聞いたそうです。
でも、同じ場所にいて波にさらわれた職員の方の家族や友達は、もう彼らの声を聞くことができません。
このこともぜひ知ってください。


私の兄も当日出張がなければここにいました。
そして2日間歩いて南三陸町へ戻りました。

【東日本大震災】「ここで生きる」始まるインフラ整備、立ち上がる住民 宮城・南三陸町(SankeiBiz 2011.3.18)


ニュース記事は一定期間を過ぎますと削除されますので、こちらのページに保管しておきます。
携帯電話でご覧になられている方はそちらが見やすいかもしれません。
保管期間はまだ決めておりません。



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コメント


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被災地の津波対策への実態が非常にわかりやすく書かれており、大変勉強になりました。また、うすうす感じていた学者さん達の話もほとんど当てにならないと言う事も。正確に言えば、学者の見識等を遙かに超える災害があり得ると言う事です。

危機意識の低さとしては、東京の人間の方がはるかに低いと思います。今回の震災で、公共機関やTV局も地震の瞬間が映像としてTVで流されましたが、ロッカーや業務用什器、大型TV等が完全に揺れに対して翻弄されていました。あれは固定されている、もしくは少なくとも対策をしていたとは思えないレベルです。大地震の危険性を啓発してきた団体であろう彼らですらこのありさまです。(TV局は今までもあれだけ危機を煽っておきながら、結局は「視聴率」と「コスト削減」のみを追求してきたのでしょうか)
今回は膨大な衝撃的映像が残りました。多重の危機が重なった事から、これを機会に多くの面で日本の問題点が改善のではないかと言う希望も持ちました。それだけの大きな困難です。しかし報道や政府の動きを見る限り、いつか来るべき「その日」に、この教訓を生かすことはできないのかもしれない、と言う思いにかられております。

G | URL | 2011-03-24(Thu)03:37 [編集]


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- | | 2011-03-25(Fri)05:27 [編集]


G さんへ

長い文章を読んでいただいてありがとうございます。
とても防災意識の高い地域であり、決して油断や過信があったのではなく、今回の津波のパワーがあまりにも強すぎたのだと、知っていただきたくてこの記事を書きました。

>正確に言えば、学者の見識等を遙かに超える災害があり得る

おっしゃる通りです。
決して学者の方の見識が甘かったわけではないと思っています。
学者の方々が地震と津波のメカニズムをさまざまに研究してくださってきたおかげで今まで津波被害を防ぐことがでいたのですし、その研究の成果を知っていたからこそ今回助かった方もいるのですから。
知っているだけに第一波の後で逃げ遅れた方を助けに行った方もいる、それがあまりにも悲しいのですけれど。

この機会にTV等で災害時に備えて知っておくべきことをどんどん紹介してほしいと思っているのですが、あまり見かけませんね。
このブログでも紹介していきますし、落ち着いたら子供さん向けにSOSの出し方などのワークショップを開催したいと思っています。
各マスコミにもそのように要望を出していきたいと思っています。
今回の教訓は、生かしてもらわないと困ります!
そのためもあって、このブログを始めました。

n_c | URL | 2011-03-26(Sat)10:31 [編集]


Re: タイトルなし

非公開コメントをいただいたもももさん、「日本以外の方からしたら、地震も火山の噴火も津波もある日本に、どうして住んでいるの?」というのがいちばんの答えなのです。

n_c | URL | 2011-03-26(Sat)15:17 [編集]


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- | | 2011-04-04(Mon)16:31 [編集]


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